(『天然生活』2023年3月号掲載)
人が楽になる手助けをずっと続けていけたら
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです
「働くって、ただ稼げればいいわけじゃなく、自分に合っているか、本当にやりたい仕事か、根っこを考えることも大切だと思います」
そう語るのは、生活研究家で64歳からは薬剤師としても働く阿部絢子さんです。1945年新潟生まれ、両親、父方の祖父と叔母、妹、弟の大家族で育ちました。稼ぎ手は父親だけだったため、父親に何かあったら長女として家族を支えなければと思っていたそう。
「私は覚えていないんですが、中学生のときにはすでに『薬学部に進んで薬剤師の資格を取りたい』といっていたみたい。高校の化学の先生が女性だったことも、『女でも理系でやっていけるんだ! 』という希望になりました」
志望通り東京の大学の薬学部に進学。薬剤師の資格を取ったものの、当時は薬を1回分ずつ薬包紙で包んでいたため、面倒で向いていないと思ったのだとか。そこで洗剤メーカーに入社し、研究室の配属になりますが……。
「私は人と触れ合うのが好きで、じっとしているのは苦手なタイプ。だから研究室の仕事も合わなくて、退職を申し出たら、企画室に異動させてくれたんです」
企画室では商品のプロモーションが主な仕事です。団地に出向き、住民に洗剤の使い方を紹介する講習会をした際、講師として招いた生活評論家の吉沢久子さんとの出会いが転機になりました。
「カビ対策とか、物が多くて困っているとか、お悩みにていねいに解決法を提案するんです。そういうアドバイスができる人になりたいと直感的に思い、生活研究家を目指す気持ちが芽生えました」
二足のわらじでどこまでも歩んでいく
32歳のときに会社が倒産すると、生活研究家の道に進むべく、家事にまつわる記事を執筆するフリーライターになりました。37歳からは吉沢さんの紹介で、百貨店の消費者相談室で消費生活アドバイザーとして週3日の勤務も開始。
「たとえば衣類がほつれたというクレームに対して、何人かに着てもらい、どうしてほつれるのか検証するわけです。そして結果に基づき、こうお召しになってはいかがですか? とお客さまに提案し、返金か新品送付か、希望を聞いて対応する。実験が好きだし、ごめんなさいと謝って終わりではないところが、楽しかったですね」
消費生活アドバイザーの仕事を70歳くらいまで続けるつもりだった阿部さん。ところが64歳のときに、百貨店からやんわりと肩たたきにあいました。
「あのときはかなりショックでした。定期収入がなくなり、年金もごくわずか。生活費の不足分はどれだけ節約しても埋まりません。思い悩んだ末、『元気なんだから、働こう』と考えを切り替えたら、気持ちが楽になりました」
思い立ったら即行動、薬剤師の資格を生かして就職活動を開始。資格はあっても経験はありませんから、仕事が見つかるか不安だったそう。ですが、スーパー内の薬局に採用され、夕方から夜にかけて週3日、働くことになりました。
レジの使い方が覚えられず再研修を受けたり、重い荷物の持ち運びで腰痛になったり。最初は大変でしたが、少しずつお客さまの症状に合わせて薬を薦められるようになり、面白くなったそう。
「私は人の相談にのって、一緒に解決することが好きなんです。薬剤師の仕事はそれまでとまったく違うけれど、ある意味、人助けという根っこは共通しています。生活研究家と両立させ、できるところまで、続けていきたいですね」
<撮影/公文美和 取材・文/長谷川未緒>
阿部絢子(あべ・あやこ)
1945年新潟生まれ。大学卒業後、洗剤メーカーに勤務。独立後は家事をはじめとする生活研究の第一人者として活躍。一方で1982年から2013年まで百貨店の消費者相談室に勤務。2009年からは薬剤師としても働き始める。また海外でホームステイをし、環境問題の研究も。『ひとりサイズで気ままに暮らす』(大和書房)など著書多数。
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです