高齢猫トトが倒れた!
考えたくはないけれど、いずれは直面しなければならない現実。
それは、愛する猫の旅立ちの日です。
前回、書いた18歳の老猫「トト」。
つい先日、生死の境をさまよいました。
トトは、もう半年ほど前から少し認知症のような状態になっていて、おしっこを、関係のない場所でしてしまったり、寝ていても、間に合わずにもらしてしまうことがありました。
その日も、寝ていたトトは、ふと立ち上がったものの、その場でおもらし。
「あらあら」と私と夫で片づけをしていたのですが、トトは、ふらふらと猫用トイレをめざします。
「あはは、遅いよー」と笑いながら見守っていたものの、トイレの前にたどり着いて、トトが突然ばたりと倒れました。
慌てて駆け寄ります。
トトは横たわった姿勢のまま、どんどん息が激しくなっていきました。
私たちの中に、急すぎる「その時」がよぎります。
「トト? トト?」と声をかけ、体をさすりながら、苦しそうなトトに、今無理をして病院に連れていくべきではないと悟ります。
夫の機転で、無事に一命を取りとめる
「そうだ、酸素があった!」
夫が気づき、かつて見送った猫のために買いだめしてあった小型の酸素ボンベをトトの口元にあてました。猫によっては音を嫌がる子もいるのですが、トトは受け入れてくれました。
シューシューと鳴る酸素の音。ハアハアと荒いトトの息。
私は涙が止まらず、だけど、私たちが取り乱してはトトも不安になるだろうと、必死でこらえます。
「トト、大丈夫よ。ここにいるよ。大丈夫。大丈夫」
夫と二人、語りかけます。
不安障害をもっている私は、もう最悪の事態しか想像できず、心の中でトトに「ありがとう」の別れの言葉を繰り返しました。
どれくらい時間が経ったでしょう。
ふと、トトの目が開きました。
ゆっくりと顔を起こします。
そして、トトは、すたすたと、リビングのほうへ歩いていったのです。
18歳のトトとのいまを大切にしたい
トトが倒れていた場所には、こんもりとうんちの山がありました。これを出すのが苦しくて息が乱れていたのか、おもらしをしてしまったのかは分かりません。
ですが、どうやら山場は超えたのだと、ホッとしたのと同時に私は泣き崩れました。
トトはそのあと、夫の腕枕で傷ついた心を癒しているようでした。
それを見て、思うのです。
きっと、以前の心の病気が重くおさえきれないときの私なら、トトがこんなことになってしまったら、トトの気持ちも考えず、泣き叫んでしまったことでしょう。
「どうしよう、どうしよう」と自分の不安ばかりまき散らし、トトを追い詰めてしまったかもしれません。
だけど、何度も愛する存在を見送り――
そして、そのたび、安定した対応で猫たちを包む夫の姿を見て――
心の病気に負けてはいけない。私も、最期の瞬間を守れる人間にならなければと願うのです。
トトは、今、隣で寝ています。
「いつまでも」ではないでしょう。
だからこそ、今を、大切に。泣けるほど大切に。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」