(『天然生活』2022年7月号掲載)
やりたいことにすぐに手が届く生活に
経済的に自立していたことも、自分の心に従って、「別れ」を選択できた大きな理由です。それでもさびしくなかったのですか? と聞いてみると……。
「それはさびしくなるときもありましたよ。移住したときに、黒猫を飼い始めたんです。猫って自分中心に生きているところがいいんですよね。ひとり暮らしで、私が喪失を感じる日があっても、まったく我関せずで、おなか空いたって言ってくるんですよ(笑)。そんなところに救われましたね」
でも、一方でこうも語ります。
「以前よりもやりたいことがすぐにできるようになって、より『個』が確立されたかなと思います。仕事を選ぶのも、心地いい生き方や空間も自分の意思で選択できるようになったし、違和感をもったことに関しても考えたいだけ考えていい時間ができました」
実は、そうやって自分らしくしつらえた部屋が、新しい扉を開けてくれたのだそう。
「ある日、家に遊びにきた高松在住の建築家が部屋を見て、『一緒に、建築や空間づくりの仕事をしませんか?』と声をかけてくれたんです。震災後、最初に香川へ移住したときに知り合った建築家でした」
もともと、短大の住居学科で学び、建築の方向へ進みたかったという広瀬さん。こうして不思議な縁で再び香川県の高松市へ移住。いままで通り、エッセイなどの文章を書きつつ、新しい世界での仕事も始まりました。
「建築の仕事は、いままでやってきたこととまったく違うというわけでもないんです。『どういう空間にしようか?』と頭の中で組み立てていくのは、どんな写真を使い、どんな文章でという、編集や執筆の作業と一緒。旅行に行って泊まった宿や、見た映画や建築、美しいものなど自分の中に蓄えたデータすべてが役立つんです。本当に人生ってむだがないんですね」
世の中には、違和感を感じながら結婚生活を続けている人もいるし、ひとりで生きていくのはさびしいから、経済的にやっていけないからという理由で、離婚を思いとどまる人もいます。広瀬さんのように「別れ」を選択し、伸びやかに新たな道を歩き出すためには、何が力となったのでしょう?
「自分で決めるしかないんですよね。最終的に『あれでよかった』と思えるようにしていくのは自分自身だと思うんです。結婚していてもしていなくてもそれは同じではないでしょうか。そのためには、『あれでよかった』に続く選択を日々することが大事なのだと思います。歳を重ねると、『こういうとき私は落ち込む』とか『こうしていると機嫌がいい』とかがわかってくるので、『よかった』につながる選択も増えてくる。でももし、できなくても次は、と積み重ねていけばいいんじゃないかな」
何を美しいと思い、どう生きていきたいかの軸は変わりません。
「別れ」の前と後で、広瀬さんの静かで凜とした佇まいがなんら変わらないわけが、少しわかった気がします。
<撮影/辻本しんこ 取材・文/一田憲子>
エッセイスト、設計事務所岡昇平共同代表、other: 代表、空間デザイン・ディレクター。東京、葉山、鎌倉、香川を経て、現在は東京在住。現在は設計事務所の共同代表としてホテルや店舗、レストランなどの空間設計のディレクションにも携わる。主な著書に『50歳からはじまる、新しい暮らし』『55歳、大人のまんなか』(PHP研究所)他多数。インスタグラム@yukohirose19
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです