大切だから怖い。向き合いたくなかった気持ち
突然自分のなかにやってきた「北海道に移住する!」というビジョンには私自身がいちばん驚かされました。だって、なるべく地元には帰りたくなかったのだから。
母と娘の関係って、難しいとよく聞きますね。例にもれず、うちもそうでした。
24歳で出産して、26歳で離婚。祖父母の家に戻って、働きながら母はわたしを育てました。
母はとてもかわいい人で、少し心が弱かった。わたしはどうしてか幼い頃から、この少し変わった家庭の中で自分が大人でいなくてはいけない、と思い込んでいました。
守ってほしい、助けが必要、そんなときにも誰にも言えなかった。かわりに、ひたすら努力することでその場を乗り切る、そんなふうに大人になりました。
高校受験の前に母がうつ病になりました。狭い家にふたりでいるとどうにもならないので、やむなく入院してもらって、わたしは毎朝ひとりで起きて学校へ通い、2日おきに祖母がごはんを運んでくれた、そんな日々が数ヶ月。
行き場のない気持ちをただ勉強することに集中させて、行きたかった高校に合格したら、母はすこしずつ元気になっていきました。
わたしはいつも、母が壊れてしまうのではないかと怖かったのだと思います。
反抗もできず、優しくもできず。高校時代は辛かった自分を賑やかさで紛らわして、なんとか東京の大学へ。とにかく親元から離れたかった、向き合うことのわずらわしさから逃げたかったのだと思います。
大人になったからできること。自分が自分のいちばんの味方でいる
母は60歳を過ぎて再婚し、3年後に離婚しました。離婚に際しサポートが必要で、わたしもずいぶん頑張ったのですが、ある彼女の一言に涙腺が決壊してしまって、帰りの電車のなかで嗚咽が止まらなくなるくらい泣いてしまったことがありました。
決して大したことを言われたわけではなかった。だからそこで、ようやく自覚したのです。大人になった今も自分は現在形でつらいのだな、これは時間が解決することではないのだな、と。
そこから、自分のなかの小さな人の気持ちを、大人の自分がちゃんと聴いてあげる、自分が自分のいちばんの味方でいると決めました。
ハードな現実を生きるために、ずっと自分に厳しかったわたしにとってそれは、日常をすっかり変えるようなことでした。
いろいろうまく落ち着いて、母の暮らしも整ったある日、ふとした口論からこれまでの話になりました。
母はその時はじめて、うちの母と娘がうまくいかないのは娘の子ども時代に起因していたことがわかって、腑に落ちたようでした。
それから、少しずつ話ができるようになり、なんでもない時間をすごせるようになって、今に至ります。
去年の夏、物件探しのために帰省して、母とお茶を飲んでいたら、「2回離婚して2回病気して、4回ゼロになったけど、今普通に生きてる。わたしは幸せなんだわ」そう、母がぽつりと言いました。
一緒にごはんを食べたい
大人になったらわかりますね。親も、ひとりの不完全な人間でしかないのだと。
若い時、うんと年上の芸術家の友人に「中途半端な親孝行はしなくていい」と言ってもらって、とても気持ちが楽になったのを覚えています。
それから、まず自分が幸せでいることが、最初にできることなのかな、と思ってきたのですけど、少し気持ちが変わってきたようです。
わたしに芽生えた気持ちは、母が元気なうちに一緒にごはんを食べたい、というとてもシンプルなものでした。
母は今、札幌でひとりで暮らしています。わたしの移住後、お互いにちょうどいい距離を探ることになるでしょう。その中でいろんな気持ちになるだろうな。やめたらよかった、と思うときもあるかもしれない。
それでも、これまで避けてきた、いちばん怖かったことをやってみたい、そう思っています。やってみて、やっぱり違うなら、それでもいい。
でもいつかきっと、この決断に感謝するような気がしています。誰のためでもなく、自分のためにそうしたい。今はそんな気持ちです。
藤原 奈緒(ふじわら・なお)
料理家、エッセイスト。“料理は自分の手で自分を幸せにできるツール”という考えのもと、商品開発やディレクション、レシピ提案、教室などを手がける。「あたらしい日常料理 ふじわら」主宰。考案したびん詰め調味料が話題となり、さまざまな媒体で紹介される。共著に「機嫌よくいられる台所」(家の光協会)がある。
インスタグラム:@nichijyoryori_fujiwara
webサイト:https://nichijyoryori.com/
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