(別冊 天然生活『心と体が若返る小さな習慣』より)
がんばれる自分から、弱い自分を引いたのが、本当の自分
人はまじめに生きるあまり、「がんばれるときの自分」を基準にしがちです。理想を高くもち、完璧を目指してしまうのです。
しかし、人間ですから弱さがあります。ブッダはそれを「五つの妨げ」と説きました。
快楽に流される心、怒りの心、やる気の出ない心、そわそわと落ち着かない心、疑いの心です。
仏教では、心の弱さもありのままに見ます。むしろ「もっとがんばれるはずの自分、できるはずの自分」のほうが、妄想といえましょう。
現実的に考えれば、「がんばれる自分−(マイナス)弱い自分=本当の自分」です。
もちろん、ここから五つの妨げに負けない自分を目指すのはありです。
常に、いまの自分をそのまま肯定するところからスタートしてください。
苦しみつづけるより、苦しみから自由になることを目標に
「私って、このままでいいのだろうか」と、いまの自分に物足りなさを感じているとしたら、いまの考え方や環境に執着しているだけなのかも?
本当は自分に合っていない可能性もあります。自分らしさとは何かといえば、ストレスなく過ごせていることです。
世の中には、人の数だけ生き方があります。自分の役割がまだ見えてないのならば、視野を広げるために学んでみましょう。
気になる人に会いに出かける、本を読む、学問に向き合う。
与えられた時間を、苦しみで埋めるのではなく、苦しみから放たれることを目標にするのです。
自分にとって価値のあるものが何なのかは、自分で決めていい。さまざまな視点を「知ること」で、きっと見えてくるはずです。
「認められたい気持ち」は、目的にせず、モチベーションに利用
ちまたでは、仏教は禁欲的な教えだと思われているかもしれませんが、それは修行増の場合です。
一般的な社会で幸せに暮らすためには「快を大切にする」のが大原則。
ここまでお伝えしてきたように、欲求をもつのは悪いことではなく、欲求が満たされずに苦しみになるのは本人が不幸になるというだけなのです。
取り扱いの難しい「承認欲求」も、認められることを目的にすると不幸になるけれど、認められたい気持ちを活動のエネルギーとして利用すればプラスに働きます。
そして、人から認められることは、当たり前ですがけっして悪いことではありません。
仏教は「事実」を見るのが基本ですから、結果として認めてもらえたことはありのままとして見ます。
問題なのは、認められるかどうかに執着してしまうこと。
それは嫉妬、劣等感、恨みなどを生み出します。
「認められたい」と思うならば、自分の足元を見つめて、自分ができること、いまの役割のなかで成すべきことをコツコツと積み上げるしかないのです。
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<監修/草薙龍瞬 構成・文/石川理恵 イラスト/しまむらひかり>
草薙龍瞬(くさなぎ・りゅうしゅん)
宗派に属さず、仏教の本質を伝えている僧侶。興道の里で仏教講座を開催。『反応しない練習』(KADOKAWA)、『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』(筑摩書房)、『消えない悩みのお片づけ』(ポプラ社)など累計著書が30万部を超える。日々に役立つ仏教についてブログでも発信。https://genuinedhammaintl.blogspot.com/
※記事中の情報は、別冊 天然生活『心と体が若返る小さな習慣』掲載時のものです