(『天然生活』2024年5月号掲載)
「好き」が幸せの原動力。いまも、好奇心に動かされています
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです
東京・田園調布の住宅街の中にひっそりと佇むレバーパテと総菜の店「パテ屋」。この地に店を構えて51年目、多くの人から愛されつづけている名店です。
86歳になる店主の林のり子さんは、来客に商品のことやおすすめの食べ方などを詳しく説明しています。

レバーパテをはじめ、十数種類の総菜がガラスケースに並ぶ「パテ屋」。林さんもときどき店頭に立ち、おすすめの食べ方などを説明している
調理場ではスタッフの作業工程や味のチェックは欠かせません。
「“用務員A”と自称して、マッシュルームの汚れとりなど、軽い作業は分担します」と茶目っ気たっぷりに話す通り、現在は若いスタッフに主な作業を任せつつ、必要な仕事を引き受けています。

作業しやすいように道具の配置が考え抜かれた厨房で、味見と商品のチェック。これまでにパテ屋で働いたスタッフの卒業生は50人以上
それ以外の時間は、店の奥にある仕事場でパソコンに向かうことも。
2015年に東京・世田谷区から依頼され開催した「ブナ帯ワンダーランド展」を本にまとめよう、と展覧会に関わった仲間たちと準備を進めているのです。
自分のアンテナは建築より料理に向いていると気づいて
人生を豊かに過ごすには? という問いに「自分が『興味をもてること』『面白いと思えること』を見つけることが一番大事。まずはここからですね」と林さん。
それは自身のたどってきた道に重なります。料理好きな母親をもち、さまざまな食に触れる子ども時代を経て、大学は「暗記が苦手だから文系は無理、理数系で行けるところはここしかなかった」という理由で建築科に進学。
卒業後はオランダに渡り、現地の設計事務所で働き始めます。
「建築への熱意が特別大きかったわけではなく、むしろ大学を卒業してもまだ図面を引かなければいけないのか、という気持ちでした。だったらせめて外国で外国語を聞きながら仕事をしたい、と思っていました」
その後パリの設計事務所でも働いたあと、帰国。日本の設計事務所にも参加しましたが、次第にある思いが強くなっていきました。
「同僚たちは『あの建築雑誌にこんなディテールが載っていた』などと話しているのに、私は全然頭に入っていなくてピンとこない。一方、料理のこととなると、あの新聞にこんなことが載っていたと細かく覚えていたり、外食で出たメニューのつくり方を想像したり、私のアンテナは、建築より料理のほうに向いている、と気づきました」
そうして建築の仕事からあっさりと手を引き、1973年にパテ屋をオープンします。これまでのキャリアに未練はなかったのでしょうか。

木々に囲まれて立つ店は、51年前に自宅の一角につくった。手描きのかわいい看板と経年変化を感じる温かい雰囲気の建物が出迎えてくれる
「それはまったくありませんでした。もう自分には料理の道しかないという思いでしたから。そもそも大学を卒業したあとも、一生建築の仕事で食べていこうとは全然思っていなかったですね。これと思うものがあれば、その都度やってみればいい。やってみてやっぱり止めようとなっても、それは道を引き返すわけではなく、“このほうがいい”という新しい発見をして、前に進んでいることですから」
<撮影/林 紘輝 取材・文/嶌 陽子>
林のり子(はやし・のりこ)
日本大学建築学科卒業後、オランダ、パリの建築事務所に2年間勤務。帰国後結婚し、建築アトリエに勤務。‘73年にパテ屋開業。同時に世界の食の仕組みを探る「〈食〉研究工房」を設立。『宮城のブナ帯食ごよみ』(宮城県農政部)など作成。著書に『パテ屋の店先から かつおは皮がおいしい』(アノニマ・スタジオ)。インスタグラム@nori_pateya
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです