• 仕事への向き合い方、心のもちよう、年齢について、暮らし方は? 人生の先輩に、豊かな日々を送るために大切なことを聞きました。今回は、東京・田園調布にある総菜の店「パテ屋」店主の林のり子さんに、86歳のいまも好奇心を原動力に、日々を楽しく生きる秘訣を伺いました。
    (『天然生活』2024年5月号掲載)

    自分の“好き”にとことん正直に。「面白い」が原動力

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです

    東京・田園調布の住宅街の中にひっそりと佇むレバーパテと総菜の店「パテ屋」。

    自宅の一角に店を開いて50年、看板商品であるレバーパテや、ポークリエットなど、素材のうま味を生かした商品をつくりつづけてきました。

    86歳になる店主の林のり子さんは、来客に商品のことやおすすめの食べ方などを詳しく説明しています。

    「当然、生の素材ですから、鮮度を見て塩の量も変えます。毎日同じものをつくっていても飽きることはありません。料理を自然現象としてとらえると、いろいろなことが見えてきます。自分の力で素材をどうにかしようとするのではなく、この素材自身がどうなりたいのかをじっと観察する。そのうち、なるほど、こうなるんだってわかってきたりしてね。観察することが、私にとっては一番面白いのかもしれません

    自分の頭の中を「お吸い物に流し込んだ溶き卵のよう」と話す林さん。

    「たくさんの考えごとがいつもぐるぐるまわっていて、ふっとアイデアが思いつく。卵液が固まって、ふわりと自然に浮かんでくるようにね。そのアイデアはその後のいろいろに活かすことができて、いまも役立っています」

    好奇心のままに動くことでどんどんと広がる世界

    林さんの仕事場に入ってまず目を奪われるのは、壁一面の本棚と、そこに収められた大量の本。

    壁にはいろいろな展覧会、映画、イベントのポスターやチラシが所狭しと貼られています。

    画像: 店の奥の部屋にあるパソコンに向かう。「テレビ好きなので、たいていテレビをつけています。自然番組やドラマなど、いろいろ見ます」

    店の奥の部屋にあるパソコンに向かう。「テレビ好きなので、たいていテレビをつけています。自然番組やドラマなど、いろいろ見ます」

    料理だけでなく、食文化、自然、暦、そして映画や音楽まで。食を入り口に、林さんの興味の対象はさまざまな広がりを見せてきました。

    画像: 家族や友人、パテ屋の元スタッフの写真があちこちに。「元スタッフがお子さんの写真を送ってくることも。“パテ屋の孫たち”です」

    家族や友人、パテ屋の元スタッフの写真があちこちに。「元スタッフがお子さんの写真を送ってくることも。“パテ屋の孫たち”です」

    その土台となるのが、パテ屋の開店と同時に立ち上げた「〈食〉研究工房」です。

    店を始めた際、ヨーロッパの保存食品であるパテを日本でつくるのは不自然なのでは? と気になったのをきっかけに、ヨーロッパと日本の風土や食文化を調べたり、世界の穀物料理の分布図をつくったり、さらには世界の暦の仕組みを調べて図にまとめたり、と好奇心のおもむくままに探究を深めてきました。

    現在、仲間と共に本の準備を進めているブナ帯の探究もライフワークのひとつです。

    画像: 店の奥の部屋は林さんの仕事場であり、スタッフたちと食事や作業をする場所でもある。飾られた多くの写真がパテ屋の歴史を感じさせる

    店の奥の部屋は林さんの仕事場であり、スタッフたちと食事や作業をする場所でもある。飾られた多くの写真がパテ屋の歴史を感じさせる

    “ブナ帯”とはブナ、ナラ、イタヤカエデなど秋から冬に紅葉・落葉し、雪が降る地方の落葉広葉樹林帯のこと。

    「40年ほど前から東北地方の自然・暮らし・文化について聞き書きをしているときに『日本のブナ帯文化』(朝日書店/市川健夫著)に出合いました。これに加えて、2000年頃からのDNAの登場で動植物の出自が明らかになり、日本列島の東北地方のブナ帯が世界のブナ帯と共通であり、それぞれのフォークロアの共通性にも興味深いものがある、とわかってきています」

    日本のブナ帯では数万年前から豊かな狩猟採集文化が営まれてきたこと。それが今日まで人々の暮らしや感性を支えてきたこと。

    ブナ帯が広がる東北地方へ聞き取り調査に行ったこともあるという林さんの口からは、次々と興味深い話が飛び出します。料理へと向いているアンテナは、その向こう側にある暮らしや文化にまでしっかりと延びているようです。

    「店を始めた50年前には、新しいことに出合うと『何?』と気になって、素材がどこから来ているのか、その背景を知りたいと自然や文化人類学、暦などのテーマにたどり着き、たくさんの資料をつくってきました。いまはテレビの旅や情報番組が参考になります。時代による変化も見られ、以前との比較もできますし、現地での調理や食事風景で素材を見るのが面白くて」

    取材中、何度も「面白い」という言葉を口にした林さん。

    海外で設計の仕事をしたのも、パテ屋を始めたのも、食文化に関する調査を続けてきたのも、すべて面白いと思う気持ちがあったからこそです。先日も新聞で情報を見てすぐ、気になった展覧会に足を運んだそう。

    自分の「好き」にとことん正直に、アンテナの感度を常に磨いて

    毎日を面白く過ごすことに貪欲な林さんの好奇心は、いまもなおその枝葉を広げつづけています。



    <撮影/林 紘輝 取材・文/嶌 陽子>

    林のり子(はやし・のりこ)
    日本大学建築学科卒業後、オランダ、パリの建築事務所に2年間勤務。帰国後結婚し、建築アトリエに勤務。‘73年にパテ屋開業。同時に世界の食の仕組みを探る「〈食〉研究工房」を設立。『宮城のブナ帯食ごよみ』(宮城県農政部)など作成。著書に『パテ屋の店先から かつおは皮がおいしい』(アノニマ・スタジオ)。インスタグラム@nori_pateya

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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