歳を重ねた先の猫との付き合い方を考える
46歳の私。51歳の夫と暮らす我が家の一番下の猫は、一昨年、母子で保護した1歳半の三兄妹。
猫の平均寿命は年々伸びてきているので、きっと20年は生きてくれると期待すると、彼らを看取る頃には、私は66歳。夫は71歳になっているのですね。

人間の子どもがおらず、10匹の猫が我が子同然のうちでは、猫はかけがえのない夫婦のかけはし。
ケンカしそうになっても、「猫を怖がらせてはいけない!」とぐっとこらえるし、特に話題がないときでも、お互いの膝に猫を乗せ、ただ飲み物(私はお酒。下戸の夫は紅茶)を傾ける時間は何よりの宝物です。
だから……
時々、ふたりでため息をつくことがあります。
「この子たちが、みんな永眠してしまったら、どんなふうに生きていったらいいんだろうねえ……」
もちろん、夫婦仲は多分人並み以上に良い私たちですし、価値観も合い、身軽になったら行ってみたい場所や体験してみたいこともいっぱいあります。
だけど、と思うのです。
おでかけから帰ってきたとき、がらーんとした部屋。猫のために!と帰宅を焦らなくていい寂しい自由。
高齢者が猫を飼い続けられない現実も知り……
とはいえ、還暦も過ぎたころ、新しい猫を迎えるには、その子の一生を考えるとなかなか難しいものがあります。
実際、我が家に5歳でやってきた「でかお」は、ご近所のおばあさんが一緒に暮らしていた猫。おばあさんは亡くなってしまい、どうなるのだろうと思っていたら、ご親戚の方が勝手にでかお(と妹猫のしろちゃん)を野に放ってしまったのです。
そこからは、私と夫で必死の捜索と保護。晴れてふたりとも我が家の子になってくれました。
日頃から「もしも」の時の話をしておく
そんなふうに、年齢を重ね猫を迎えることは、やはりリスクがあります。
ただ、やりようによっては、まったく叶えられない夢ではないとも思うのです。
たとえば、でかおたちの場合、結果として近所に住む私たちが迎え入れましたが、思えばもっと早くから、おばあさんと「もしものときのお話」をしていても良かったな、と思います。
おばあさんとは、彼女の家庭菜園のお野菜をいただく間柄。「死んだときの話」なんて縁起が悪くてはばかられましたが、そのときが来てからじゃ遅い。ご近所さんに託せる方がいるのなら、死という運命から目をそらさず約束を交わすのは大切だと思います。
他にも愛護団体さんや、最近では老猫ホームなんてものもあります。
もちろん、大好きな家族と最期まで過ごすのが一番ですが、万が一に備えて、自分たちが亡きあとの猫たちの行く末を決めるところまでして、歳を重ねての猫のお迎えができるのではと痛感します。

新しい猫を迎えられなくなったらやってみたいこと
私たちは、今は積極的に「そのときは新しい猫を」という気持ちにはなれませんが、もしご縁をいただけたら「看取り前提」の老猫や病気の猫ちゃんをお迎えしたり、「ミルクボランティア」といって、愛護団体さんがたくさんの子猫を保護し授乳する余裕がないときのお手伝いをするというのもありかな?と思っています。
私も夫も、これからどんどん歳を重ね、できないことも増えていくでしょう。
それでも愛しい猫たちを、一匹でもしあわせにできるよう、そして私たちもしあわせになれるよう「歳を取ったからこそ」の猫との付き合い方をぼんやり考えているのです。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」