猫は私の「人生の師匠」
気がつけば、私はもう46歳になりました。
思えば昔は「30までには死ぬ!」なんて真顔で言っていた私。心を患い生きる希望も持てず、毎日をどうやってやり過ごすかしか考える余裕もありませんでした。
そんな中、20代半ばに出会った黒猫「あい」。
猫エイズと猫白血病という不治の病を抱えながらも、まっすぐ生き抜いたその子に、私は教えられました。「病気があっても、ハンデがあっても、生きているだけでかけがえがない」。
気がつけば、それをきっかけに夫婦ともども猫なしでは生きられないほどになり、今では元保護猫10匹とにぎやかに暮らしています。
やがて「天然生活web」さんという場でエッセイを書かせていただくようになり、ほかの著者さんの記事を読むうちに、そこに載っているチーズやジャムを手作りしてみたくなりました。
かつては「生き延びる」だけで必死だった私に、「生きることを味わう」楽しみが芽生えたのです。
猫との暮らしもまったく同じです。
最初は「ペット」だった存在が、今では「我が子」であり、「人生の師匠」です。
ごはんをおいしそうに食べ、眠ることを心から楽しみ、遊びには全力。そんな彼らの姿は、まるで「生きるってこういうことだよ」と教えてくれているようです。
これまで私は「生きづらい自分」をさらけ出し、テレビに出たり、本を書いたりして共感を得てきました。
でも今は、その生きづらさを嘆くのではなく、「猫たちが生きやすさに変えてくれたこと」として伝えたいと切に思います。

夫のひざは最高のいやしスポット
猫から学んだ"猫師匠語録"
それではここで、『猫から学んだことわが家の猫師匠語録』を少し。
○でかお(男の子15歳)
「寝ることは生きることだ」
ひたすら眠るでかお。ひとりで寝ても、誰かと一緒でも、寝るのが仕事みたい。そんな姿に「休むことを悪く思わなくていい」と教えられます。
○ヨナ(女の子3歳)
「ぽっちゃりは愛嬌だ」
外猫時代の反動で、いまや横綱級。でもおしりを高く上げて甘える姿は天下一品。太っても、ちょっと「普通」とは違う見た目でも、愛されるんだと証明してくれます。
○ウン(女の子15歳)
「小さな声でも伝わる」
かすかな声で鳴くだけ。でも夫は必ず気づいて動く。ウンを見ていると、声の大きさじゃなく「伝えたい気持ち」なんだなと思います。

声が小さく小心者の「ウン」
○全(男の子5歳)
「嫉妬は愛の裏返し」
ヤキモチ焼きで、誰かを撫でると必ず割り込む。面倒だなと思うときもあるけど、それくらい愛されている証拠なのだと気づかされ、ますます愛しくなるのです。

「ぼくが一番」やきもち焼きの「全』
○あい(虹の橋の子)
「時間は量より質だ」
短い命だったけれど、その時間はとても濃くて、今も私の中で生きている。あいに教わったのは「今を大事に」という一言に尽き、ただ生きていられる奇跡を噛みしめます。
などなど。
生きることが難しい私に与えられた、10冊の生き方指南書
人は年をとると「生き方指南書」を欲しがります。
でも、私たちの家にはすでに10冊――いえ、10匹の生き方教科書が転がっています。
どれもページは毛だらけで、ちょっと汚れていて、時には破られているけれど……その分リアルで、私たち夫婦にはぴったり。
かつての私は、生きることが難しくて仕方ありませんでした。
でも今は、猫たちに囲まれて、夫と笑いながら「ただ生きることをのーんびり味わう」毎日を送っています。
未来はどうなるか分かりませんね。

毛づくろいし合う仲良しさんたち
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咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」