(『天然生活』2023年9月号掲載)
一人ひとりのなかに歩みのペースがある
「どこからが、障がい者なのか」
藤田さんは、その定義は曖昧だとして、問いを投げかけます。
15年前、障がいのある妹の居場所として「かぐや」を開設したものの、「僕と妹が、支援者と障がい者になったわけではありません。妹は妹でしかなかった」と語る藤田さん。
障がいとはグラデーションのようなものととらえているからこそ、支援が必要か否かも、人により、環境により違うと考えます。
それゆえ、地域で生きづらさを抱える人たちに対しては、手帳の有無を問わず扉を開いてきました。

庭の木や畑の収穫物をむだなく生かして、保存食の仕込みも。床にずらりと並んでいるのは、自家製の味噌の樽
では、障がい者にとっての差別とは何なのか。藤田さんが宿題のようにそう自問をつづけるきっかけとなったのは、かつて催しの撮影に来てくれた写真家、齋藤陽道さんの言葉でした。
先天性の聴覚障害のある齋藤さんは、自身が差別を感じるのは「ペースを乱されること」と答えたといいます。

使用済みの点字用紙をリサイクル。「駅前かぐや」のメンバーが折り畳んで封筒にし、毎月発行の『かぐや新聞』の郵送に使っている
「常に繊細に言葉を選ぶ陽道さんが、どういう意図でそう答えたんだろうと。まだ答えは出ていませんが、自分の歩むペース、一人ひとりのペースとは、“尊厳”ではないかと考えています。象に、ねずみのスピードを求めることはできないのと同じように。『かぐや』の設立当時から通っている前田さんには、かつて時給数十円の世界で、もっと早くもっと早くとせき立てられ、挫折した経験があるといいます。時給で生きるというのは、事業者のペースで、自分のペースを切り売りして動かされるということ。それは、尊厳を踏みにじられながら、歩かされるということではないかと」
齋藤さんを通し、「おのおのの歩みのペースが、互いに大切にされる」という福祉観を見いだしつつある藤田さん。
あらゆる人の生きる土台にあるべき福祉というものを、「かぐや」の竹林に根を下ろしながら、模索しつづけます。

さんわーく かぐや
住所:神奈川県藤沢市本藤沢6-12-1
電話:0466-77-8610
<撮影/林 紘輝 取材・文/保田さえ子>
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです