• つくる、食べる、片づけるを淡々と繰り返す「台所」という空間。料理の前後にある見えない労働を億劫に感じることもある一方、音や匂い、味つけから誰かを思い出し、大事にされた記憶を呼び覚ます温かい場所でもあります。歳を重ねながら、食や台所について自分に合ったやり方を見つけてきた文筆家大平一枝さん。今回は、子どもが巣立ってから便利さに気づいた「つくりおき」のお話。

    50代からの食事に役立つ「つくりおき」

    長らく作り置きは苦手だったが、子どもふたりが巣立ってからいくつか作るようになった。食が細くなった中年夫婦ふたり分を、少量ずつ毎回一から作るのが面倒になったからである。

    主菜だけ作り、付け合わせや小鉢の副菜は二〜三日分まとめて作っておいたものを使うと時短になり、彩りや栄養バランスもぐっとよくなる。

    忙しい子育て期に作り置きは活躍するものと思っていたが、たくさん食べられず、むしろものぐさ度の加速する、今のほうが私には向いている。

    画像: 50代からの食事に役立つ「つくりおき」

    ポイントは、えいやっと土日にまとめて作るのではなく、平日の朝、仕事前にちゃちゃっとやること。少しでも負担に思ったら続かないと、自分の性格をわかっているので無理はしない。

    朝は、行動が速い上に元気もある。仕事を控え無意識のうちに気が急(せ)いているので、手が速く動くのだ。

    今朝は、一、きのこ三種の塩蒸し、二、人参とささみのコールスロー風サラダ、三、アスパラバターソテー、四、ズッキーニのナムルの四つを作った。どれも一〇分足らずだ。

    料理ではなく脇役の「素材」として使う

    作り置きとは、完成したおかずのことだけをさすとは限らない。きのこの塩蒸しのように、仕上げ前の作り置きも応用自在で便利だ。

    これを青菜と和えたり、塩麴漬けしたささみと和えたり、肉のソテーの付け合わせにしたり、白身魚の上に乗せ、醬油をたらり。あるいはホイル蒸しにしても、だしが出ておいしい。

    料理ではなく、脇役の“素材”として使うのだ。

    画像: 作り置きは可視化できるイワキガラスに

    作り置きは可視化できるイワキガラスに

    画像1: 苦手だった「つくりおき」食が細くなったいま“夫婦ふたり”の食事に大活躍。下ごしらえレベルのかんたん準備で料理がラクに/文筆家・大平一枝さん
    画像2: 苦手だった「つくりおき」食が細くなったいま“夫婦ふたり”の食事に大活躍。下ごしらえレベルのかんたん準備で料理がラクに/文筆家・大平一枝さん

    きのこは加熱するだけでだしが出て、安くて食物繊維とミネラルがたっぷり。地味で茶色いシンプルな見た目だけれど、使い勝手ナンバーワンの万能選手なのである。

    それと、体に良いものを作ったぞ、いつでも冷蔵庫にあるぞという実感が、さりげなく気持ちを上げてくれる。この隠れた効能も大切だ。

    * * *

    作り置きをすると、その料理を起点にメニューを考えられるので、大きな目で見るとこれも時短になる。料理でいちばん時間がかかるのは、じつは献立を考えることではないか。だから大変便利なのである。

    よーし料理をまとめて作っておくぞと思うと身構えるが、簡単な下ごしらえレベルなら、仕事前の朝でもささっとすませられる。

    料理は気持ちの持ち方次第なのだなあとしみじみ思う。

    「大変」「私にはとてもできない」「飽きるに違いない」「そんな時間はない」と決めつけていることが、自分にはまだまだありそうだ。

    年齢やライフスタイルや家族構成の変化とともに、食生活は変わる。

    今のところ私には絶対無理と思っている小豆を煮ることとケーキ作りも、案外数年後には嬉々としてやっているのかもしれない。そんな自分が少し楽しみでもある。

    ▼大平一枝さんの“台所”の記事はこちら

    〈写真/大平一枝〉

    ※本記事は『台所が教えてくれたこと ようやくわかった料理のいろは』(平凡社)からの抜粋です。

    『台所が教えてくれたこと ようやくわかった料理のいろは』(大平一枝・著/平凡社・刊)

    画像3: 苦手だった「つくりおき」食が細くなったいま“夫婦ふたり”の食事に大活躍。下ごしらえレベルのかんたん準備で料理がラクに/文筆家・大平一枝さん

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    ◆「台所」という空間で探しつづける、自分に合った暮らしと料理のいろは◆

    独身時代は暮らしのことにまったく無頓着で、年に二、三度しか味噌汁をつくらなかったという大平一枝さん。

    結婚してからは、ふたりの子どものために必要に迫られて料理をし、子どもが巣立ってからは、時には小さな不満を持ちながらも、夫と負担を分け合って暮らす日々。

    「台所という生活の楽屋で、自分に合ったやり方で疲れないものだけを、のんびり探しつづければいい」と話します。

    本書は、十余年にわたり“台所”を取材して歩いてきた大平さんが、初めて自身の台所とくらしをありのままに綴ったエッセイ集。

    人生とともに変化する食や価値観について、見つめたくなる1冊です。

    【もくじ】
    ● 第1章 ようやく料理のいろはが見えてきた
    ・作り置きクロニクル
    ・収納迷子からの卒業 など
    ● 第2章 大人のテーブル、忘れられない味
    ・カレーの階段
    ・あきらめて楽になったこと など
    ● 第3章 台所はいつも忙しい
    ・とんちんかんな家事
    ・長生きを願う台所の神 など
    ● 第4章 忘れられない台所
    ・手触りは消えても
    ・八六歳の外国製食洗機 など
    ● 第5章 台所は生きている
    ・長寿の両親と発酵食
    ・台所は生き物のように など


    大平一枝(おおだいら・かずえ)
    1964年、長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年に独立。市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラムおよびエッセイを執筆。2013年から続く連載「東京の台所」(朝日新聞デジタルマガジン『&w』)が大きな反響を呼び、書籍や漫画に展開されている。著書に『ジャンク・スタイル』『男と女の台所』『ただしい暮らし、なんてなかった。』(以上、平凡社)、『ふたたび歩き出すとき 東京の台所』(毎日新聞出版)、『注文に時間がかかるカフェ——たとえば「あ行」が苦手な君に』(ポプラ社)、『そこに定食屋があるかぎり』(扶桑社)など多数。本書は自身の台所について著す初めての書籍となる。
    *連載「東京の台所」はこちら:東京の台所2



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