• つくる、食べる、片づけるを淡々と繰り返す「台所」という空間。料理の前後にある見えない労働を億劫に感じることもある一方、音や匂い、味つけから誰かを思い出し、大事にされた記憶を呼び覚ます温かい場所でもあります。歳を重ねながら、食や台所について自分に合ったやり方を見つけてきた文筆家大平一枝さん。今回は、学生時代の忘れられない味「先輩のカレー」のお話。

    人生で初めて出合った最高においしい「大人のカレー」

    学生時代の女子寮に、ちょっと素敵で個性的な先輩がいた。

    スリムで背が高く、ボーイッシュなベリーショートがトレードマーク。物静かでいつも本を読んでいる。高校生の頃から、ずいぶん年上の恋人と長く付き合っているという噂だった。合わせて、家庭の事情で、生活費を切り詰めて大学に通っているという話も伝え聞いていた。

    寮はふたりひと部屋で、私はその先輩のルームメイトと同学年で親しかった。

    部屋に遊びに行くと、先輩とも話したり、ご飯を作ってもらったりした。

    先輩は料理や片づけが手早くてうまい。幼い頃から家事手伝いをやってきた人だとひと目で分かる。

    あるとき、カレーをごちそうになった。運ばれた皿を見て驚いた。

    大きな皮付きじゃがいもがまるまるひとつ、人参は皮を剝いた二分の一本がごろんと入っている。鶏肉の塊はふたつ、三つ。つい何か月か前まで、料理から洗濯、部屋の掃除までなにもかも親まかせだった私は、先輩との圧倒的な人間力の差を感じた。

    それはどこからどう見ても、最高にかっこいい大人のカレーだった。

    画像: 先輩がつくってくれた大人のカレーを思い出しながら。記憶のなかのおいしさにはまだ遠い

    先輩がつくってくれた大人のカレーを思い出しながら。記憶のなかのおいしさにはまだ遠い

    恐る恐る口に運ぶ。

    あれれ。人参ってこんなに甘かったっけ。じゃがいもが口の中で溶ける。

    あれは確かに、私の人生で野菜の滋味を知った最初の出来事だ。コトコト煮るという小説や料理雑誌で見るような言葉を、実際にやっている人にも初めて会った。ルーは市販のよくあるものだが、醬油を少し混ぜたと聞いた気がする。

    とにかくとんでもなくおいしかった。

    年齢関係なく、生活体験の豊かな人は旨い料理がつくれる

    「最初、どうしてまるごと煮込もうって思いついたんですか」

     目を丸くして聞く私に困ったような顔をして、彼女は答えた。

    「どうって、このほうがおいしいじゃん。たまに行ってたジャズ喫茶でこういうの、出してくれてたんだよね」

    コトコト。ジャズ喫茶。まるごと野菜入り。そして年上のコイビト。どれも私の辞書にはない素敵な呪文だ。

    一年しか違わないのに、ひどく眩しく見えた。どういう人生を積み重ねたら、一九歳であんなカレーが作れるんだろう。いろいろ聞きたいのに、彼女の部屋に行くとうまく切り出せず、口数の少ない人だったのと学年も違うのとでとうとう聞けずじまいのまま、翌年、部屋替えになってしまった。

    まもなく先輩と同室だった友達は、音楽事務所に入ると言って大学をやめた。ひとり暮らしを始めたその友達の家に泊まりに行くと、「あの先輩の料理すごかったよね、やること全部かっこよかったよね」と、いつも同じ話をした。

    * * *

    さて、私の住む下北沢は何十軒とカレー屋があるが、行列を見ると時々、あの先輩のカレーがなんてったってナンバーワンだよなと思い出す。

    以来、年齢にかかわらず生活体験のゆたかな人は旨い料理が作れるという持論を信じている。

    あながち間違っていないと思う。

    ▼大平一枝さんの“台所”の記事はこちら

    〈写真/大平一枝〉

    ※本記事は『台所が教えてくれたこと ようやくわかった料理のいろは』(平凡社)からの抜粋です。

    『台所が教えてくれたこと ようやくわかった料理のいろは』(大平一枝・著/平凡社・刊)

    画像: 学生時代に出合った「最高においしい」カレーの思い出。年齢に関係なく“生活体験の豊かな人”はうまい料理がつくれる/文筆家・大平一枝さん

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    ◆「台所」という空間で探しつづける、自分に合った暮らしと料理のいろは◆

    独身時代は暮らしのことにまったく無頓着で、年に二、三度しか味噌汁をつくらなかったという大平一枝さん。

    結婚してからは、ふたりの子どものために必要に迫られて料理をし、子どもが巣立ってからは、時には小さな不満を持ちながらも、夫と負担を分け合って暮らす日々。

    「台所という生活の楽屋で、自分に合ったやり方で疲れないものだけを、のんびり探しつづければいい」と話します。

    本書は、十余年にわたり“台所”を取材して歩いてきた大平さんが、初めて自身の台所とくらしをありのままに綴ったエッセイ集。

    人生とともに変化する食や価値観について、見つめたくなる1冊です。

    【もくじ】
    ● 第1章 ようやく料理のいろはが見えてきた
    ・作り置きクロニクル
    ・収納迷子からの卒業 など
    ● 第2章 大人のテーブル、忘れられない味
    ・カレーの階段
    ・あきらめて楽になったこと など
    ● 第3章 台所はいつも忙しい
    ・とんちんかんな家事
    ・長生きを願う台所の神 など
    ● 第4章 忘れられない台所
    ・手触りは消えても
    ・八六歳の外国製食洗機 など
    ● 第5章 台所は生きている
    ・長寿の両親と発酵食
    ・台所は生き物のように など


    大平一枝(おおだいら・かずえ)
    1964年、長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年に独立。市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラムおよびエッセイを執筆。2013年から続く連載「東京の台所」(朝日新聞デジタルマガジン『&w』)が大きな反響を呼び、書籍や漫画に展開されている。著書に『ジャンク・スタイル』『男と女の台所』『ただしい暮らし、なんてなかった。』(以上、平凡社)、『ふたたび歩き出すとき 東京の台所』(毎日新聞出版)、『注文に時間がかかるカフェ——たとえば「あ行」が苦手な君に』(ポプラ社)、『そこに定食屋があるかぎり』(扶桑社)など多数。本書は自身の台所について著す初めての書籍となる。
    *連載「東京の台所」はこちら:東京の台所2



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