年末に思い出す2匹の猫のこと
年末の空気は、どこか魔法めいています。
街のざわめきや家のあわただしさの奥から、ふと、深くて静かな光漏れのような気配が立ち上ぼる瞬間があるのです。
窓を少し開けると、冬の陽がすっと差し込み、床には長い影が横たわります。
その影の上を、今はもういない猫たちの足音の“記憶”だけが、ふわりと通り過ぎていくみたいに思えることが私にはあります。
我が家では、この季節に2匹の大切な猫が旅立ちました。
1匹目は、猫エイズと猫白血病を抱えながら、生きる強さを教えてくれた「あい」。
死に向かう病気という現実が霞むほど、生きること、愛されることを諦めないまっすぐな眼差しでした。その瞳に触れるたび、めげそうになる私の心は引き上げられました。

おもちゃが大好きだった「あい」。猫エイズと白血病の猫でした
2匹目は、20年をともに過ごした「ぴょん」。歳を重ねても、その名の通り大ジャンプで部屋中をはね回っていたおてんばな影。あのガシガシした毛並みに手を伸ばせば、今でも変わらず喉を鳴らし、おしりを高くかかげてくれるような気がするのです。
見送った猫の気配を感じながら
2匹とも、家が賑やかになりはじめる季節に、そっと眠るように旅立ちました。
だからでしょうか。お正月飾りを手に取ったとき、大掃除の途中でふと手を止めたとき、胸の奥にエアポケットのような静かな空洞が、すうっと生まれる瞬間があります。
けれど、その寂しさのすぐそばには、あの子たちが残してくれた光の粒が、今も漂っています。時間が経っても消えず、冬のやわらかな陽射しのように、部屋の空気へ溶け続けているのです。
たとえば、朝、ご飯の支度をするためキッチンに行くと、ぴょんのストーカーのようにすり寄る固いしっぽを足に感じます。夜、ベッドで毛布にくるまるときは、あいが私の心に寄り添ってくれた温度が、胸の奥でふっと灯ります。
思い出は消えない。
かたちを変えながら、毎日のどこかでやさしく触れてくれるのだと、最近ようやく思えるようになりました。

掃除の邪魔をしている「一」
猫を見送った方へ。そっと手渡したい小さなアドバイス
・思い出は“しまうもの”ではなく、“一緒に置いておくもの”
心に浮かぶ記憶は、痛みではなく、その子が生きた証。棚の上にそっと花を飾るように、日々の中に置いてあげてください。
・寂しさも、涙も、そのままで大丈夫
ふと胸がしめつけられるのは、それだけ深く愛したから。涙は、あの子と過ごした時間をもう一度あたためてくれます。
・小さな習慣をひとつ残す
その子のいた場所にクッションを置く。好きだった毛布を畳んでおく。無理して整理しなくて大丈夫。見るたび胸はふっと切なく、同時にやさしくなります。
・新しい日々へは、ゆっくり窓を開けるように
その子がいたから今の自分がある──。そう思える日がひとつ増えるごとに、世界は少しずつ明るく戻ってきます。

段ボールを捨てさせてくれない「全」
いろいろなことがあった今年を振り返って
「なにげない今日という日の奇跡」――。
体を壊したり、入院したり……といろいろあった今年だったので、来年は、その奇跡をもっと丁寧に受け取って生きていきたいと思います。
冬の朝に差し込む白い光。やかんから立ちのぼるおばけのような湯気。毛布に宿る人の、猫の体温。そして、猫たちが残していった温度や気配。
そんな小さくて、でもかけがえのない瞬間を、ひとつずつ抱きしめるように過ごしていきたい。
旅立った二匹の存在を胸に、来年もまた、静かに、新しい日々を歩いていく。
その日の空気を、深呼吸するように感じながら――。

大掃除で見つけたおもちゃにハッスル!
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咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」






