我が家の最長老、でかおのこと
夕方のキッチンに、ゆるやかな時間が流れています。
煮込み鍋のふたを少しずらすと、湯気と一緒に鶏肉の匂いがふわり。足元では、柔らかなお腹をゆっさゆっさ揺らしながら、「でかお」が通り過ぎていきます。
我が家の最長老、でかおは16歳。

でかお、16歳。人間をよく観察する猫です
そして、猫エイズキャリアです。
もともとは近所のおばあさんが外飼いしていた猫でした。そのおばあさんが亡くなり、行き場を失ったでかおが、我が家にやってきたのは今から10年前のことです。すでに感染していることは分かっていましたが、不思議と不安はありませんでした。
というのも、私たち夫婦には、かつて猫エイズと白血病のダブルキャリアだった「あい」と暮らした経験があったからです。
そして何より、あいと伴走してくれた獣医師の言葉が心に残っていました。
「毎日をごきげんさんで過ごしたら、発症しないまま一生を終える子もいないわけじゃないんですよ」
その言葉を、私たちはそのまま信じることにしました。
エイズキャリアの猫と暮らして10年が経ちました
実際、でかおが我が家に来てから10年。発症どころか、風邪ひとつひくことなく今日も元気いっぱいです。他の子たちの毛繕いに精を出し、いつの間にか“良きアニキ”として10匹の猫たちの大黒柱になっていました。
そんなでかおを見ていて、「器がでかいなあ」と思う瞬間があります。
それは、まったく鳴かないところ。
でかおには、年齢のこともあって特別にあげているシニアフードがあります。でも、それを食べたいときでも鳴いて知らせることはありません。ただ、じーっと私たちを見つめるだけ。
鈍感な私たちは最初気づかず、「あまえたいのかな?」「なでなで?」などと見当違いなことをしてしまいます。
すると、でかおは何も言わず、すっとみんなと同じフードスペースへ移動します。
その姿を見て、ようやく私たちは気づくのです。
――ああ、あれは「特別なごはんが食べたい」のサインだったのだ、と。

特別なカリカリに満足げ
目で思いを伝える賢い猫。怒らず、焦らず、欲張らず
一緒に寝たいときも同じです。
鳴かず、騒がず、ただ黙って真ん丸なお目目で見つめる。気づかなければそばで待ち、私たちがベッドに向かうと、足取り軽くうきうきと後ろをついてくる。
「もっと声で伝えてよー」と思うこともありますが、どうやら“でっかい男”は、黙ってどしんとかまえるものらしいのです。
こんなおおらかさが、でかおの毎日を支えているのかもしれません。
怒らず、焦らず、欲張らず。ただ今日を、静かに、ごきげんさんで過ごす。
猫エイズキャリアという言葉の向こう側にあるのは、病名ではなく、その子そのものの暮らしなのだと、でかおが教えてくれます。

でかおがいると誰かがやってくる
でかおに学ぶごきげんさんに生きる、ちょっとした秘訣
・言葉にしない時間を、大切にする
何かを伝えたいとき、必ずしも声を張る必要はありません。黙って待つことも、ひとつの伝え方。それこそが相手を尊重する優しいコミュニケーションにつながります。
・自分の居場所を、ちゃんと知っている
無理に前に出なくても、自然と収まる場所があります。それを知っている人(猫)は、揺らがず、しあわせな居場所と出会えます。
・欲しいものは、欲張らない
欲張らず、奪わず、順番を待つ。結果として、ちゃんと必要なものは巡ってくるものです。
・人の流れに身を任せる余裕をもつ
相手が動けば、自分も動く。焦らず、タイミングを待つことの心地よさったらありません。
・どしんとかまえて、今日を過ごす
先のことを考えすぎず、昨日を引きずらず、今日を静かに生きる。それだけで十分。
・ごきげんは、自分でつくるもの
好きな場所、好きな距離、好きな時間。小さな「快」を積み重ねることが、毎日の笑顔の土台になります。
今日もでかおは、何も言わず、どしんとそこにいます。
その背中を見ながら、「この家に来てくれてありがとう」と、静かに思うのです。

夫になでてもらい至福の顔

咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」






