• 生きづらさを抱えながら、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていた咲セリさん。不治の病を抱える1匹の猫と出会い、その人生が少しずつ、変化していきます。生きづらい世界のなかで、猫が教えてくれたこと。猫と人がともに支えあって生きる、ひとつの物語が始まります。怖がりの猫が教えてくれた、「信じる」までの時間を綴ります。

    怖がりの猫が教えてくれた、信じるまでの時間

    3年前、わが家にママ猫の「ヨナ」と、3匹の乳飲み子がやってきました。赤ちゃんたちは、外で生まれました。その子たちを、ママ猫のヨナごと保護したのです。

    来たばかりのヨナは、触られることも苦手でした。

    野良として生き、外で子どもを産み、必死で守ってきたヨナにとって、人間の手は、安心できるものではなかったのだと思います。

    近づくと身を固くする。手を伸ばすと、逃げる。ヨナの中にはいつも、逃げる準備がありました。

    子育ては、基本的にヨナにまかせました。

    画像: 怖がりだったけど、いまやおなかパッカーンのヨナ

    怖がりだったけど、いまやおなかパッカーンのヨナ

    もちろん、体調を見たり、掃除をしたり、必要な手助けはします。でも、ミルクを飲ませるのも、なめるのも、抱くのも、叱るのも、眠らせるのも、ぜんぶヨナ。

    最初はケージの中。子どもたちが少し大きくなると、今度はソファの下。人間の手が簡単には届かない、暗くて狭い、安全地帯。ヨナはそこで、大切に子どもたちを育てました。

    だからでしょうか。

    男の子の「ユキ」と「コウ」は、最初から人間に心を開く猫にはなりませんでした。もちろん、まったく慣れていないわけではありません。いまではなでるとのどを鳴らします。気持ちいいのだと思います。

    画像: ヨナに育てられたユキは、まだ臆病

    ヨナに育てられたユキは、まだ臆病

    画像: 人の手がちょっと怖いユキ

    人の手がちょっと怖いユキ

    でも、体には少し力が入っている。

    ごろごろ。でも、いつでも逃げられる。
    うれしい。でも、まだちょっと怖い。

    その両方を、同じ小さな体の中に持っているのです。

    このあいだ、私はお笑い番組の賞レースを見ていました。応援していたコンビが出ていて、つい力が入っていました。そのうしろのソファでは、ユキがうつらうつら眠っていました。ああ、今日は近くで寝てくれている。安心してくれているのかな。

    そう思っていたのに。結果が出て、応援していたコンビが負けました。

    「ああー!」

    思わず声を出して、ソファにもたれかかったその瞬間、ユキが、ぴゃーっと逃げました。本当に、ぴゃー、でした。漫画みたいに、体を低くして、目をまんまるにして、どこかへ消えていきました。

    ごめん。
    ごめんね。
    いまのは、あなたに向けた声ではないの。

    また信頼関係の築き直しだろうか。
    そう思うと、胸がきゅっとなります。

    けれど、猫と暮らしていると、信頼というものは、そんなに単純なものではないのだとも思います。

    一度怖がらせたから、すべて終わり。
    一度逃げたから、もう嫌われた。

    そんなふうに、人間の不安はすぐ大げさになります。

    でも猫は、もう少し現実的です。

    怖かった。
    だから逃げた。
    でも、おなかはすく。
    眠くもなる。
    あの人間はたまに大きな声を出すけれど、ごはんはくれる。
    なでる手は、まあまあ気持ちいい。

    たぶん、そんなふうに、猫は毎日を更新している。

    私は、ユキやコウに、無理に「なついてほしい」とは思わないようにしています。

    ユキにはユキの速度がある。
    コウにはコウの距離がある。
    そしてヨナにも、ヨナの怖さがあった。

    怖がりの猫には、怖がりのまま生きる権利がある。

    こちらにできるのは、その怖さを否定しないこと。急がせないこと。

    画像: いろんな性格の子がいます

    いろんな性格の子がいます

    そして、何度でも「大丈夫だった」を積み重ねることなのですね。

    ◇ ◇◇ ◇◇


    画像: 怖がりのまま、愛されていいと伝える

    咲セリ(さき・せり)
    1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。

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