• 料理のプロたちが信頼を寄せる古書店が、神田神保町にあります。棚に並ぶのは、一流の味を知る先人が思いを込めて記した本の数々。
    (『天然生活』20164年9月号掲載)

    棚づくりの原点にあるのは、食へのあくなき好奇心

    神田神保町、悠久堂書店。天井までぎっしりと古書が詰まった店内は、いつも静かです。時折、聞こえる話し声も紙束に吸われ、時計の音だけがカチコチと響いてきます。

    目をひく販促文も、店内放送も、ありません。けれどもここは、愛書家たちの宝箱。山岳書の並ぶ2階へと上っていくのは、ザックを担いだ登山愛好家。展覧会のカタログを熱心に見ているのは、美術学校の生徒でしょうか。

    なかでも料理書の棚には、ありとあらゆる専門書が集まっていて、料理人や調理学校の先生も足を運びます。和食、フレンチ、イタリアン、エスニック、中華、製菓にワインの本。食材図鑑や食に関する歴史書も並んでいます。

    画像: しっかりとした装丁の大型本。30年ほど前、シリーズものの豪華本を、ローンを組んで購入する「月賦本」が流行した。料理本もそのひとつだった

    しっかりとした装丁の大型本。30年ほど前、シリーズものの豪華本を、ローンを組んで購入する「月賦本」が流行した。料理本もそのひとつだった

    近所のワインバーに勤める常連客が「あの本、見せてください」と指さしたのは、フランスの画家、ロートレックの挿絵が入った料理書。店主の諏訪雅夫さんが、表紙のセロハンを外します。

    「いいよねえ、美術公論社の本は、こだわりがあってきれいなんだよ。出版は40年くらい前で……」と雅夫さんがいうと、「1974年だね」と古参スタッフの岡田さんが即答しました。この知識の豊かさも、信頼されるゆえんです。

    「いい料理人は勉強熱心で、休みを見計らっては本を探してるね。板前が西洋料理の本を探したり、フレンチのシェフが和食の本を研究したり。専門以外の知識を広げにくる人も多いよ」と雅夫さん。

    画像: 右から、諏訪雅夫さん、長男の雅也さん、長女の吉重(よしえ)さん。店の仕入れは雅也さんが担当し、雅夫さんが接客を担当。吉重さんは「探求書」サービスを提案した

    右から、諏訪雅夫さん、長男の雅也さん、長女の吉重(よしえ)さん。店の仕入れは雅也さんが担当し、雅夫さんが接客を担当。吉重さんは「探求書」サービスを提案した

    料理書を通しておいしさの背景を知る

    画像: 昭和3年に区画整理で現在の土地に。写真は昭和40年当時の店前の様子。その後、建物の改装を経ていまに至る ©レオ マカラズヤ

    昭和3年に区画整理で現在の土地に。写真は昭和40年当時の店前の様子。その後、建物の改装を経ていまに至る
    ©レオ マカラズヤ

    神保町はもともと学生街で、法律書や哲学書を扱う書店が点在していました。本が貴重だった時代、そうそう新刊を手に入れられるわけではない。学生たちは、一冊一冊を大切に読み継ぎました。おのずと古書を扱う店が集まり、大正時代の初めには古書店街として知られるようになったのです。

    悠久堂書店も、大正4年の創業時には、教科書を中心に扱っていました。戦後、高度経済成長期に登山ブームが訪れると、二代目(雅夫さんの父)が山岳・動植物関連の本を扱うように。さらに、三代目店主の雅夫さんが料理書を、長男・雅也さんが美術書をと、ジャンルが広がっていきました。

    雅夫さんは食通で、ワインとチーズが大好き。休日になると、家族で外食をしたり、奥さまの手料理に舌鼓を打ったり。自身は料理をすることはなく食べること専門でしたが、その趣味が高じて、料理書を仕入れるようになりました。

    画像: 雅夫さんが日本におけるフレンチの立役者だと話す辻静雄さん。店内の書棚にも、彼の著書が多く並ぶ

    雅夫さんが日本におけるフレンチの立役者だと話す辻静雄さん。店内の書棚にも、彼の著書が多く並ぶ

    「父は、いつも食に関する本を読んで勉強していました」と、長女の吉重(よしえ)さんはいいます。興味があったからこそ、料理書の出版が盛んになった1980年代、料理ブームの到来を肌で感じて仕入れを始めることができたのでしょう。

    小さいころから、店の書棚に並んだ料理書を絵本のように眺めていた吉重さん。その体験がきっかけで、20代で渡仏。料理学校で本格的なフランス料理を学びました。

    吉重さんが留学中、雅夫さんはフランスを幾度となく訪ね、一流の料理店に足を運びました。本を読み込んだあの店が、どんな料理を出すのか、どんなサービスをするのか。研究熱心な雅夫さんは、確かめたかったのです。

    「自分の舌で覚えたことを、本で得た知識が裏打ちしてくれる。なぜおいしいのか、どんな秘密があるのか。背景を知る喜びが、本にはあるんだよね」

    画像: 吉重さんが幼いころから眺めていたという、挿絵入りの辻静雄さんの料理本

    吉重さんが幼いころから眺めていたという、挿絵入りの辻静雄さんの料理本

    7年前から仕入れを担当する雅也さんも、幼いころから父に勧められて辻静雄やポール・ボギューズなど著名な料理人の本を読み、評判の料理店へ連れていってもらっていました。目と舌で料理の世界を体験してきた雅也さんは、仕入れの目も父譲りなのです。

    ところで、古書の値段は、どうやってつけるのでしょう。

    「基準になるのは、『本の深さ』かな」と雅夫さん。

    「おいしい店の料理をただ紹介するだけの本は、古本としては価値がないんだよね。歴史や材料、レシピの論理など、料理の背景がわかるような本に値打ちがある」

    「たとえば」と手にしたのは、フランス料理研究家・辻静雄さんの、百科事典よりも厚い研究書。

    「辻さんは探究心があって、フランス語を勉強して、食べて、研究して、本を残した。彼がいなければ、日本にフレンチの文化はここまで広がらなかったかもしれない。昔の料理研究家や料理人は、本物の味を学ぶために、体を顧みずに食べつづけたから、寿命の短い人が多いね。身を挺して、食の世界に分け入っていったんだな」

    そう語りながらページをめくる指先には、この一冊を生み出した人への敬意がこもっています。一生を食に捧げ、身を削って得た知識を、後世に残すために本を書く。そんな生き方があったのです。

    画像: 店頭のワゴンには、ビジネス書や文庫本に交じって、料理の実用書が並ぶことも

    店頭のワゴンには、ビジネス書や文庫本に交じって、料理の実用書が並ぶことも

    <撮影/寺澤太郎>

    悠久堂書店
    東京都千代田区神田神保町1-3-2 ☎03-3291-0773
    月~土曜10:15~18:45・祝日10:45~18:15 ㊡日曜・年末年始
    http://yukyudou.com/

    ※トップの写真について
    悠久堂書店の1階、料理本の書棚。料理を体系的に学ぶための専門書や食材の図鑑など、なかなか目にすることのない専門書が書棚に所狭しと並べられている

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです

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