教育への情熱がつくり上げた和と洋が併存する擬洋風学校建築の代表作
令和元年、明冶期の建物として、迎賓館赤坂離宮、富岡製糸場に続き、3例目の国宝に指定された旧開智学校校舎は、和と洋を折衷した擬洋風建築の学校校舎です。
近代的な学校制度が明治5年(1872)に公布されると、各地に次々に西洋風の学校が計画されました。しかし、西洋の建築様式を知る者はまだ少なく、大工棟梁たちは開港地に赴き目にした洋館を手本に、伝統建築の技法と様式で校舎を建設しました。これが「擬洋風」と呼ばれる様式です。
その横綱といえるのが、「国宝旧開智学校校舎」です。
国内でもとりわけ教育熱が高かった筑摩県(現在の長野県の中南部と岐阜県の一部)の権令・永山盛輝の教育振興政策のもと、地元出身の大工棟梁・立石清重が設計施工を担当しました。
筑摩県第一等の学校として地域の期待を集めて建設され、約11,000円という工事費用のおよそ7割を地元の住民からのお金でまかなったといいますから、教育に対する地域の想いの強さが伝わってきます。
立石は、建築にあたって東京の開成学校(東京大学の前身)などを訪問してスケッチを重ね、色ガラスや扉の金物なども東京に赴いて自分で購入したといいます。こうした苦労や努力を踏まえて建物を見ると、随所に工夫のあとが見えてきます。
木造でありながら壁に漆喰を塗って柱を隠し、建物の四隅の隅石を色漆喰で石積み風に表すなど、和と洋が渾然一体となって併存しています。バルコニーには、波立つ流水の上に龍が潜み、その上空の瑞雲のさらに上に校名の旗を掲げた天使が舞い、学び舎から英才を輩出していこうという強い意気込みを感じます。
大工たちが伝統の技を駆使して完成させた校舎は、当時の教育への情熱をいまに伝えています。
旧開智学校校舎
所在地/長野県松本市開智2-4-12
設計/立石清重
竣工年/明治9年(1876)
国宝指定/令和元年9月30日
【見学情報】
[開館] 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
[休館] 3月〜11月の第3月曜、12月〜2月の月曜、年末年始
[料金] 高校生以上400円、中学生以下200円
[交通] JR「松本駅」より徒歩25分
写真/伊藤隆之(いとう・たかゆき)
1964年、埼玉県生まれ。早稲田大学芸術学校空間映像科卒業。舞台美術をてがけるかたわら、日本の近代建築に興味を持ち写真を学び、1989年から近代建築の撮影を始める。これまでに撮影した近代建築は2,500棟を超え、造詣も深い。『日本近代建築大全「東日本編」』『同「西日本編」』(ともに監修・米山 勇/刊・講談社)、『時代の地図で巡る東京建築マップ』(著・米山 勇/刊・エクスナレッジ)、『死ぬまでに見たい洋館の最高傑作』(監修・内田青蔵/刊・エクスナレッジ)などに写真を提供してきた。著書には『明治・大正・昭和 西洋館&異人館』(刊・グラフィック社)、『看板建築・モダンビル・レトロアパート』(刊・グラフィック社)、『日本が世界に誇る 名作モダン建築』(刊・エムディーエムコーポレーション)などがある。
文/後藤聡(ごとう・さとし)
近代建築を愛好するライター。とくに、明治から昭和初期に建てられた洋館に愛着が深く、建物の細部に見え隠れする、かつての住人や建築に関わった人たちの息づかいを見出し楽しんでいる。『時代の地図で巡る東京建築マップ』『死ぬまでに見たい洋館の最高傑作Ⅱ』(刊・エクスナレッジ)、『世界がうらやむニッポンのモダニズム建築』(刊・地球丸)などの執筆を担当。
※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです