島根県雲南市の木次町で「安全な食づくり」に取り組む、木次乳業。創設者・佐藤忠吉さんの想いは、社を越えて、地域のコミュニティに広がっています。
(『天然生活』2017年1月号掲載)
人から人へ、つながっていく「理想の食」への想い
健康と食の学び場、自給自足の社員食堂
正午を過ぎたころ、木次乳業の社員食堂には、次々と人が集まってきます。ここでは、料理上手なお母さん3名が日代わりで厨房に立ち、大皿に盛りつけた昼食を提供します。
この日のメニューは、あじの干物を主菜に、野菜中心の副菜が9品。温められた鍋からは味噌汁の香りがふわりと漂い、食欲をそそります。
ごはんは自社の田んぼでつくっている無農薬の玄米。野菜のほとんどは、会社の横にある小さな菜園で社長の佐藤貞之さんがみずからが収穫したものだとか。
「ただ食べるじゃなくて、食べるっちゅうことは、五感を使うことに意味がある。スーパーやコンビニで出来合いのものを買って食べるんでは、味覚が退化してしまう。つくった人の気持ちとか作法とか、盛りつけた器とか、そういうことも考えながら食べる。ほんなら、すべてが勉強になぁがね」
入り口の看板に書かれた「おまかせや」の意味は、「家族は毎日の献立を、お母さんにおまかせしているでしょう。だけん、ここの料理は家庭の味っちゅうこと」。定食屋のようにいつもメニューが決まっていたら楽しみがないじゃない、と貞之さんは少し誇らしげ。
毎日の暮らしのなかで、安全かつ栄養バランスのよい食事をすることが、いかに豊かなことか。地産地消を実践する、社員研修の場にもなっているようです。
自給の暮らしを目指す食のコミュニティ「食の杜」
木次乳業本社から車を走らせること約10分。奥出雲の谷あいに広がる約7ヘクタールもの広大な土地に、「食の杜」と名づけられた場所があります。
ここは木次町におけるスローフードのシンボル農場として、1998年に開設された地。集まったのは、自社農園の低農薬ぶどうで仕込む「ワイナリー奥出雲葡萄園」をはじめ、無農薬栽培に取り組む「大石葡萄園」、国産大豆でつくる「豆腐工房しろうさぎ」、天然酵母と国産小麦粉を原料とした「杜のパン屋」、茅葺きの家に宿泊できて田舎料理を食することができる「室山農園」。
風土に根ざした食をつくりたいと共通の意思をもったメンバーが集まり、それぞれが、安全な食づくりを継続しています。
「食の杜は、佐藤忠吉をはじめ、木次町の元町長や島根大学の研究者など、有機農業に取り組んでいた人たちの思想が集まってできました。貨幣経済とは離れたところで、昔ながらの暮らしを実現する。そんな理想的な、シンボル的な農園をつくろうという目的があります」と話すのは、ワイナリー奥出雲葡萄園の安部紀夫さん。
もともとは木次乳業の社員だったという安部さんは、忠吉さんの哲学にひかれて入社したひとり。忠吉さんの発案でぶどうの栽培に携わり、木次乳業の支援を受けて、現在はワイナリーを独立運営しています。
「島根で生まれ育った人には農業が身近すぎて、木次乳業が長年やってきた偉業をよく知らない人も多いんです。独自に開発したパスチャライズ牛乳もそうだし、ナチュラルチーズづくりもそう。稲の有機栽培や、やまぶどう交配品種を使ったワインづくりも、有機農業に携わる人々にとっては憧れの存在でもあります」
取材の終盤、ご高齢のため自宅にいらした忠吉さんが、少しだけお話しする機会をくださいました。忠吉さん、あなたの思想を継いで大きくなった木次町の食づくり、今後どうなるでしょう?
「私は私、あなたはあなた。私の時代は私で終わり。全部してしまっては、続く仕事がないわぃね。儲けようとせず、いまここで何をすべきかを考えてやった仕事の功績は、あとからついてくる。清流に片足、どろどろっとした濁流に片足。その姿勢がないとだめですけん。人より半歩努力して、自分たちの意思で、楽しんでやってもらいたいですな」
<写真/尾嶝 太 取材・文/大野麻里>
※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです