秋は、食欲、スポーツ、芸術、行楽、読書、といろいろな楽しみがありますよね。
その中から、今回は芸術の秋にちなみ、アーティスティックな絵本をセレクトしました。
子どもも大人も楽しめる、絵本の良さを実感できる3冊です。
『よあけ』(ユリー・シュルヴィッツ作・画 瀬田貞二訳 福音館書店)
「おともなく しずまりかえって、さむく しめっている。」
山に囲まれた静かな湖畔で、大木の下にはおじいさんと孫が
毛布にくるまって寝ています。
「つきが いわにてり、ときに このはをきらめかす。
やまが くろぐろと しずもる。」
いまどきの絵本では、きらめかす、しずもる、なんていう言葉は
なかなか使われないかもしれません。
1977年刊行のこの絵本は、文章が静謐で、日本語ってきれいだなぁ、と改めて実感できます。
やがて、こうもりが舞い出て、かえるが湖に飛び込むと、
おじいさんと孫は起きだして、湖にボートを漕ぎだします。
澪を引いて進むボート、朝日が照らし出す景色。
最終ページの鮮やかさは、それまでの静かなページがあったからこそ。
作者は1935年生まれ。東洋の文芸・芸術にも造詣が深く、
この絵本は、唐の詩人、柳宗元(773〜819)の「漁翁」という漢詩がモチーフになっています。
いわれてみれば、どこか水墨画風の絵、余計なものをそぎ落とした文章も、漢詩の世界が表現されているように感じます。
絵本を読み、漢詩を読み、また絵本を読むと、それまで以上に自然の豊かさ、素晴らしさが大切に思えてくる。
忙しない日常に平穏をもたらす常備薬のような絵本です。
『あおくん と きいろちゃん』(レオ・レオーニ作 藤田圭雄訳 至光社)
あおくんときいろちゃんは、大の仲良し。
いつも一緒に遊んでいます。
ある日、あおくんはきいろちゃんの家に出かけますが、
きいろちゃんは、留守です。
あおくんはあちこちきいろちゃんを探し回り、ようやく会えました。
「よかったね あおくんと きいろちゃんは
うれしくて もう うれしくて うれしくて」
きっと抱き合ったんでしょうね。ふたりは重なって、緑になります。
緑のまま、ふたりはトンネルをくぐったり、山を登ったり。
疲れて、帰宅すると、あおくんの両親も、きいろちゃんの両親も
うちの子じゃない、と言いました。
大泣きに泣いたふたりは、ぜんぶ涙になってしまい、ようやく、青と黄色に戻ります。
ふたりがどうして緑になったのか、理解した両親たち。
あおくんのパパとママも、きいろちゃんのパパとママも、うれしくなってお互いに抱き合い、やっぱり緑になりました。
この絵本は、作者が孫にせがまれて、
手近の紙に色をつけ、次々に登場人物を作りながら、
偶然に生まれたものなのだそう。
青と黄色が混ざって緑になる。
大人にとっては当たり前の色の原理を使い、
違う者同士が融和することのわくわくする楽しさを表しています。
子ども以上に、大人こそこの意味をしっかり噛みしめたいと思うのです。
『きりの なかの サーカス』(ブルーノ・ムナーリ作 谷川俊太郎訳 フレーベル館)*出版社在庫切れ。
タイトルを見て、霧の中ってどういうこと?と思いながら、表紙を開くと、なんと、トレーシングペーパーを使って、深い霧を表現しているではありませんか。
霧に煙るミラノの街は、ページを進むごとに霧が晴れていき、サーカスのあかりが見えてくると、高揚感に胸が高鳴ります。
カラフルな紙を型抜きして表したサーカスのページは、とにかく愉快。
文章は意味がよくわからない部分もあるのですが、それがまたサーカスのしっちゃかめっちゃかな雰囲気にぴったりと合っています。
そして再び霧が現れ、ミラノの街とは対照的に、自然の中を帰る家路が静かに表現されています。
この絵本の作者は、イタリアのアーティスト、ブルーノ・ムナーリ。
芸術、デザイン、そして独創的な子ども向けのワークショップをはじめ、児童教育の分野でも活躍しました。
この絵本は、数々の実験的なしかけを行ってきた作品の中でも、名作中の名作だと思います。
訳を担当した谷川俊太郎さんがあとがきに書いています。
「(略)ムナーリの言葉を思い出しました。『芸術作品を理解するときの最大の障害は、分かりたいという<欲求>である』。」
この絵本も難しいことは考えずに、霧の中から浮かび上がってくるサーカスの楽しさを純粋に味わうと、頭も心もすかっとしてきますよ。
長谷川未緒(はせがわ・みお)
東京外国語大学卒。出版社で絵本の編集などを経て、フリーランスに。暮らしまわりの雑誌、書籍、児童書の編集・執筆などを手がける。リトルプレス[UCAUCA]の編集も。ともに暮らす2匹の猫のおなかに、もふっと顔をうずめるのが好き。
<撮影/神ノ川智早(プロフィール写真)>