• 安らかな微笑をたたえ、見る者を穏やかな心持ちにしてくれる木彫りのお雛さま。作者の日本画家・松尾春海さんの工房を、花教室「日々花」の雨宮ゆかさんと訪ねました。突然の夫の死を乗り越えて、新たに始めた彩色(さいしき)雛人形の世界を紹介します。
    (『天然生活』2013年3月号掲載)

    野に咲く花を愛でるように 春の景色を飾るように

    悲しみを乗り越え新たな雛人形を模索する日々

    画像: 仏師だった夫・秀麿さんが彫った仏像。秀麿さんは芸大を卒業後、京都にある美術院国宝修理所に勤め、日本中の寺社の仏像修復の仕事をしていた

    仏師だった夫・秀麿さんが彫った仏像。秀麿さんは芸大を卒業後、京都にある美術院国宝修理所に勤め、日本中の寺社の仏像修復の仕事をしていた

    画像: 女雛と男雛がセットになった合わせ貝

    女雛と男雛がセットになった合わせ貝

    画像: ぽってりとした椿の花が描かれた貝

    ぽってりとした椿の花が描かれた貝

    秀麿さんが逝ってから数年間、春海さんはひとりで日本画に向かいました。

    はまぐりの貝に絵を施す「合わせ貝」や、木の板に花鳥風月を描く「板絵」などの作品を発表し、個展を開きます。

    「でもね、お雛さまは、やっぱりつくりたい。立体作品としてモチーフ全体にぐるっと描ける面白さを知ってしまうと、平面の絵がどうも味気ないんですよね」

    画像: 窓の外に目をやれば、悠然と広がる富士の景色。住居と工房を兼ねた家に暮らし、制作を行う。不定期で「一期一会コンサート」という催しを開いている

    窓の外に目をやれば、悠然と広がる富士の景色。住居と工房を兼ねた家に暮らし、制作を行う。不定期で「一期一会コンサート」という催しを開いている

    画像: リビングルームの一角にしつらえられた、秀麿さんの仏像。京都からこの地に移り住んでからは、独自の仏像制作に取り組んでいたという

    リビングルームの一角にしつらえられた、秀麿さんの仏像。京都からこの地に移り住んでからは、独自の仏像制作に取り組んでいたという

    夫が彫った「あの形」を求め、雛を彫ってくれる職人を何年も探しつづけました。でも、あれほどのものを彫れる人とは、とうとう出会えなかったといいます。

    「困ったなーと思って、いろいろなつてを頼り、やっと旋盤ろくろで形をひいてくれる人を見つけたの。器などをつくる木工職人さんです。寸法を出し図面をおこして、形は自分で決めました」

    「木彫り雛人形」づくりをやめてから10年。春海さんの「彩色(さいしき)雛人形」制作の新たなスタートです。

    画像: 「彩色雛人形」。木目を生かした薄い彩色が特徴。女雛にはれんげとすみれが、男雛にはすみれとたんぽぽが描かれている。一体は両手のひらに乗るくらいの大きさ。作品は年に数回、行われる個展で入手可能

    「彩色雛人形」。木目を生かした薄い彩色が特徴。女雛にはれんげとすみれが、男雛にはすみれとたんぽぽが描かれている。一体は両手のひらに乗るくらいの大きさ。作品は年に数回、行われる個展で入手可能

    彩色の特徴は、なんといっても木の風合いを生かした淡い色付け。実際に絵付けの作業を見せていただきました。

    「奈良の一刀彫とか、木彫りの雛人形は幾つかあるけれど、だいたいがベタ塗りをして木目を消しているでしょう? 私は木のもつ表情を生かしたかったから、なるべく薄くベースの色を塗るんです」

    使う画材は、日本画で使われる岩絵の具。孔雀石やラピスラズリなど鉱石を砕いてつくった天然の顔料です。

    チューブから出してすぐ使える絵の具と違って、ニカワを入れて練り、混ぜ、お湯で溶いて使用しなければならず、大変に手間もかかり、高価なものです。

    「天然絵の具には、人工のものにない深みがあるんです。結晶の集まりが光に反射して、色がむっくり豊かになるんですよね」

    画像: 金・白金の扇面に花があしらわれている

    金・白金の扇面に花があしらわれている

    そう説明しながら、型を手に取り、薄桃色の着物地を女雛に塗る春海さん。一気に筆を滑らせる手に迷いはなく、その潔さに雨宮さんも驚きを隠せません。

    「木のもつやさしさが、お雛さまの向こうに透けて見えて本当に美しい。何よりも、春海さんが描く草や花は生き生きとしている。秀麿さんと春海さんでつくる自由な雰囲気のお雛さまも大好きでした。でも、春海さんのお雛さまは、形がシンプルな分、春海さんの絵と深く向かい合えるような気がして、ひと味違う美しさがあるよう」

    松尾さん夫妻が二人三脚でつくってきた雛は、いま形を変え、新しい美しさを携え、やさしい光を放っているのでした。

    そこに「在る」ように描かれる自然の景色や、野の草花

    画像: 杉板に萩、おみなえし、藤袴の花を描いた板絵。春海さんが描くのは野の花が多い。「洋花のゴテゴテしているのは描かないし、描けないんです」

    杉板に萩、おみなえし、藤袴の花を描いた板絵。春海さんが描くのは野の花が多い。「洋花のゴテゴテしているのは描かないし、描けないんです」

    工房を訪れたのは、雛づくりが佳境を迎える年の瀬。

    春海さんは、初春の作品展に向けて、ひたむきに筆を動かします。

    そして、ちょっと疲れたら、家の外へ出て深呼吸。春海さんの目に映るのは、広く澄みきった草原と、きりっとそびえる富士山のみ。

    ぽっかり雲の帽子をかぶった富士、夕日に照らされたオレンジの富士……。

    「毎日、眺めていても、ひとつとして同じ景色はない。飽きることはないですね~」

    画像: 時間ごとに表情を変える富士山。春海さんのアトリエと富士山の前にはさえぎるものは一切なく、雄大な草原が広がる、この上ないロケーション

    時間ごとに表情を変える富士山。春海さんのアトリエと富士山の前にはさえぎるものは一切なく、雄大な草原が広がる、この上ないロケーション

    富士山に抱かれるように、自然とともに暮らす春海さん。作品に影響しているのでしょうか?

    「モチーフはもともと自然のものが多かったけれど、ここに住んで、さらに強まった。この葉っぱはどうなっていたっけ?ってわからなくなったら、表に出て描けばいい。身のまわりにあるのが一番いいですね」といって、ほほ笑みます。

    画像: 広大な敷地で野菜などを育てている春海さん。多くとれたものは保存食にして大切にいただく。「畑仕事は、冬の間は、しばらくお休みです」

    広大な敷地で野菜などを育てている春海さん。多くとれたものは保存食にして大切にいただく。「畑仕事は、冬の間は、しばらくお休みです」

    画像: 春海さんが私たちのために用意してくれた心づくしの昼食。パンもジャムも自家製。パンや焼き菓子は、以前、販売していたこともあるプロの腕前

    春海さんが私たちのために用意してくれた心づくしの昼食。パンもジャムも自家製。パンや焼き菓子は、以前、販売していたこともあるプロの腕前

    「菜の花、すみれ、れんげ……春海さんの描く花は、本当に野原に咲いているみたい。れんげだったら春の霞がふわふわかかっているような、そんな感じがします」

    そういえば、雨宮家でお雛さまと一緒に飾られていたのも、可憐な野の花でした。

    「うん、春海さんのお雛さまには、華やかなお花より、楚々とした草花が合う気がするんですよね」

    春の草原に広がる「景色」「におい」「風」……。

    手のひらに収まる春海さんのお雛さまには、春ののどかな風景が広がり、春の訪れを私たちに教えてくれるのです。

    お正月が明け、浮き浮きした気持ちも落ち着いてきたころ、箱から出され飾られるお雛さま。

    母から娘へ、そして、そのまた娘へ。毎年毎年、繰り返される儀式です。

    柔和な顔のお雛さまに託すのは、春がきたことへの感謝、そして、これからもすこやかでありますように、という願いです。

    画像: 少しほほ笑んでいるかのように見える顔

    少しほほ笑んでいるかのように見える顔

    画像: 後ろ姿も楽しい、春海さんのお雛さま

    後ろ姿も楽しい、春海さんのお雛さま

    画像: ひと筋垂れた髪の毛にも物語を感じる

    ひと筋垂れた髪の毛にも物語を感じる

    画像: 春の七草のひとつ、スズナ(かぶ)の絵

    春の七草のひとつ、スズナ(かぶ)の絵

    画像: 桃の花と、お雛さまが対になった合わせ貝

    桃の花と、お雛さまが対になった合わせ貝




    〈撮影/雨宮秀也 構成・文/鈴木麻子(fika)〉

    松尾晴海(まつお・はるみ)
    日本画家。仏師の松尾秀麿氏と結婚後、1987~97年、共同で木彫り雛人形の制作を行う。現在は、ひとりで制作。2/5~9に、東京・ 神楽坂「ギャラリー坂」にて個展を開催。詳細はギャラリーのインスタグラム@gallery_saka_kagurazaka、ブログ( https://gsaka.exblog.jp/ )で確認を。

    雨宮ゆか(あめみや・ゆか)
    花教室「日々花」主宰。暮らしの道具や器を主に使い、日々の暮らしに 寄り添うような花の提案をする。オンライン教室も随時開催。著書に『花ごよみ365日-季節を呼びこむ身近な草花の生け方、楽しみ方-』(誠文堂新光社)がある。
    https://www.hibihana.com/

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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