今回は「猫」がテーマ。なぜかというと、2月22日が猫の日だったからです。もう過ぎてしまったけれど、猫はいつだってかわいいので、いいですよね!
『タンゲくん』
(片山健 文・絵 福音館書店)
ある日、ごはんを食べていると
見たことのない猫が家に入ってきました。
その猫は「わたし」の膝に当たり前のように乗り、
寝るときもふとんでごろごろ。
おとうさんはその猫をタンゲと名付けます。
これは丹下左膳からでしょう。
丹下左膳、名前は聞いたことがあるものの、実際には見たことがないので調べてみると、隻眼隻手の架空の剣士でした。
強そうな風貌と個性的な雰囲気が、ぴったりです。
タンゲくんは気味の悪い虫も平気でとってくるくせに、掃除機を怖がり、満月の夜は家じゅう走り回ります。
変なタンゲくん。
でも「わたし」はタンゲくんが大好き。だから
「タンゲくんは わたしのねこだよね」
とささやくのだけれど、そんなとき、タンゲくんは外へ出て行ってしまいます。
タンゲくんは外で会っても知らんぷり。
もしかして、よその女の子に飼われているのかなとか、ほかに家族がいるのかな、なんて心配するくだり、切なくなります。
外で猫のけんかの声が聞こえて心配したけれど、タンゲくん、無事に帰ってきました。
昔はこういう猫、けっこういたんですよ。好き勝手に出たり入ったり。よその家では違う名前で呼ばれていたりして。
猫にとって、外は、車、病気、怪我、けんか、と危険が多い。でも、やっぱり野生の強い動物だから、たまには風に吹かれたり、雨の匂いをかいだりしたいんじゃないのかな。
我が家でお腹を出して寝ている猫たちを見ていると、ときどきそう思うのです。
『ねえ だっこして』
(竹下文子・文 田中清代・絵 金の星社)
「わたし このごろ つまらない
おかあさんの おひざに
あかちゃんが いるから」
猫によるドキンとする独白からこの絵本は始まります。
大好きなお母さんは、朝も昼も夜も、赤ちゃんのお世話で大忙し。ちょっと待ってね、と言われて、猫は待たされてばかります。
自分じゃ何にもできない赤ちゃん。
いいよ、おかあさんを貸してあげる。
猫のわたしはもう大きいから、自分で何でもできるもの。
拗ねていたハチワレ猫でしたが、あとでいいから抱っこして、とおかあさんに擦り寄ります。
はじめてこの絵本を読んだとき、自分が子どもだったころを思い出しました。弟が生まれて、おかあさんを取られた気分になったあのころ。
愛情って、かける対象が増えたからといって、減るものではなく、倍々に増えていくものなのではないでしょうか。
だから心配しなくてもいいのだけれど、時間ばかりはどうしようもないんですよね。不均衡になってしまうときがある。
もしも最近、愛情をかけられていないな、と思う対象があるならば、ほんの短い時間でもいいから、集中して抱っこしたり撫でたり愛でたりしてほしいな、と思います。
わたしも最近忙しくって、つい猫たちに「あとでね」と言ってしまいがち。ぎゅっと、向こうがいやがって飛びのいていくくらいぎゅっと、抱っこしよう。
『てつぞうはね』
(ミロコマチコ ブロンズ新社)
てつぞうは「わたし」の猫。
座るとおにぎりみたいで、すごく重い。
誰もが恐れる暴れ猫で、人も猫も大嫌いだけれど、
「わたし」のことだけは大好き。
てつぞうはパイナップルとハムが好きで、
歯磨き粉に首ったけで、亀は苦手。
かしこくて、絵の才能もある。
そんなてつぞうと春夏秋冬を過ごし、8回目の冬がやってきたとき、てつぞうは子猫みたいに小さくなって、動かなくなります。
そして翌年の春、「わたし」の家には捨て猫が2匹やってきました。
ソトとボウと名付けられた子猫たちは、てつぞうのトイレを使い、てつぞうの食器でごはんを食べ、てつぞうみたいに眠ります。
ペットとよばれる動物たちの多くは、飼い主よりも、短い時間を生きています。いつかやってくる別れは、想像しただけで胸が痛くなりますから、あまり考えたくはありません。
でも、最期まで彼らの幸せを考えて一緒に過ごすことこそが、ともに暮らす責任です。
痛みは予習できないし、それぞれの別れはそれぞれに固有のものだけれど、それでも絵本を通じて「死」に向き合うことで、何かしら、心にぽっと強い気持ちをもらえるような、そんな気がしています。
長谷川未緒(はせがわ・みお)
東京外国語大学卒。出版社で絵本の編集などを経て、フリーランスに。暮らしまわりの雑誌、書籍、児童書の編集・執筆などを手がける。リトルプレス[UCAUCA]の編集も。ともに暮らす2匹の猫のおなかに、もふっと顔をうずめるのが好き。
<撮影/神ノ川智早(プロフィール写真)>