家に帰れば天使が待っている
某月某日
エミューちゃんが生まれてからというもの、私は幸せだった。
朝、起きるとエミューちゃんがピィピィ鳴いている。それだけで、頭の先からつま先まで、全身がしびれるような多幸感につつまれた。
真っ白な朝日の中で、育雛箱の外の世界がどんなものかも知らずにただキャベツをついばむエミューちゃんはまさに天使で、よくみると小さな羽をぱたぱたさせていたりするので、いよいよもって天使なのだった。
仕事で理不尽に怒られても、業者のミスで家から大量の漏水がおきても、何も気にならない。だって家に帰れば天使が待っているのだ。廃屋一歩手前の古民家に、天使が住んでいるなんて一体誰が思うだろう。
しかも、天使には刷り込みという不思議な性質があって、ただ産まれたときに目の前にいたのが私だったというだけの理由で、私のことを盲目的に愛し、必要とし、どこにいくにもピィピィとついてくるのだった。
もはや、あまりにも自分に都合がよすぎて不安になる。こんなに幸せで本当に大丈夫なのだろうか。
「冴えないオタク君のもとに、ある日突然美少女が降ってきて……!?」という設定のラブコメと同じくらいの異常事態が、いま自分の身に起きているのだ。
今まで、ラクして幸せになりたいという邪な気持ちから何冊もの自己啓発本を読んだけれど、どの本にも「エミューを孵化させる」という方法は書いていなかった。
もしかしたら、とんでもない副作用があるのかもしれない。天使を我がものとした代償に、世界中の災いが私に降りかかるとか。
某月某日
「砂漠さん、どうしたんですかその腕……!?」
久しぶりに会った友人は、小さな叫び声をあげた。自分の腕を見ると、根性焼きのような跡や、ナイフで切ったような切り傷が無数にできていた。全部、エミューちゃんのお世話のときにできた傷だ。
「いやぁ、私が朝起きるのが遅いから、エミューちゃんが怒っちゃって」
「エミューちゃんがかさぶたをつついて剥がしちゃうから、傷がなかなか治らないんだよね」
説明するほどに、友人たちの顔色が青ざめていく。
「社会人として許される傷の量を完全に超えてますよ! 大丈夫ですか?」
「そういえば、最近職場の人たちが妙に優しい気が……」
そうなのだ。最近、職場の人たちが休日出勤を代わってくれたり、私が早く帰れるように会議時間を早めに設定してくれたり、やたらと気づかいをしてくれるようになった。
エミューちゃんのお世話があるので正直、ものすごく助かるのだが、自分から早く帰りたいと言ったとはないので不思議だった。
「それは……DVがひどい恋人と同棲をはじめたと思われてるんじゃないですか」
「早く帰らないと、砂漠さんが暴力男に殴られると思ってるんですよ」
「ええっ!? エミューちゃんは優しいし、私のことが大好きで、DV男なんかじゃないですよ!」
「DVの被害に遭っているひとは、みんなそう言うんです!」
「私はエミューちゃんといるだけですごく幸せで……」
「もう、完全にDVの被害者と言ってることが同じですよ!」
なんと、自分のことを世界一の幸せ者だと思っているのは自分だけで、第三者からみた私は、エミューちゃんの暴力とワガママに疲れ果てたかわいそうな女なのだった。それも、会社の人に気を遣われるほどの……。
でも、他人からどう思われるかなんて、ささいな問題にすぎない。
だって、家に帰れば天使がいるのだ。
〈撮影/仁科勝介(かつお)〉
砂漠(さばく)
東京生まれ東京育ちの山奥に住むOL。現代社会に疲れた人々が、野生の生活や異文化に触れることで現実逃避をする会を不定期で開催。ユーラシア大陸文化が好き。現在はエミュー育てに奮闘中。Twitter:@eli_elilema note:https://note.com/elielilema