初めて赤ちゃんに会ったときのこと
「代々木駅に長女を迎えにいったときのことは、今でもはっきり覚えています。団体の方に大切そうに抱っこされていた生後10日の娘は、本当に壊れそうなぐらい小さくて、かわいくて。まさに天使だと思いました」(セキさん)
当時の様子を愛おしそうに思い出しながら語るセキさんは、柔和でやさしく、喜びと慈愛に満ちた表情です。きっと、赤ちゃんに初めて会ったときも、こんなに穏やかで素敵なお顔をされていたのだろうと、そして、赤ちゃんも、そんな紛れもない“母”の表情を見て、どんなに安心しただろう、とふと思いました。
“母”となる覚悟、“母”という自覚
セキさんには、何度か、「母となる覚悟はどうやってされたのでしょうか?」とお聞きしていました。
妊娠を経て、体と心に目まぐるしい変化を感じながら、10ヶ月もの年月をかけて“母になる”という意識が実感とともにゆっくりと心に刻まれるという経験が、特別養子縁組で子どもを授かる場合には、ありません。実際、セキさんに赤ちゃんとのご縁の連絡が入ったのは、ほんの4日前のこと。
長年お子さんとの出会いを心から待ち望んでいたとはいえ、あまりにも突然にコウノトリはやってきて、あまりにも唐突に“母”となるわけです。
「ずっと子育てをしてみたいという思いを大事に抱えていましたから、やっと夢が叶ったと思いました。赤ちゃんのお世話は大変でしたが、ようやく『やりたかったことができている!』という喜びの方が大きかったですね」(セキさん)
経験のある方ならお分かりいただけるかと思いますが、個人差はあるものの、赤ちゃんのお世話は、それはもう大変です。もちろんかわいいしうれしいし、子宝に恵まれたことは奇跡だともわかっている。
しかし、その言葉たちだけでは抱えきれない苦労もまた、あります。こまぎれの睡眠に、5分程度のささやかな自分の時間すらままならず、とくに何もかもが初めての第一子目のときの精神的・肉体的な辛さは、想像以上です。
でも、その苦労よりも喜びの方が大きかったと、こんなにもキッパリと清々しく言ってのけるセキさんの様子を見て、私の疑問はあまりにもあっけなく解決しました。
母となる覚悟は、もうとっくに、ずっと前からセキさんの心にしっかりと確かな根を張っていて、あとはただただご縁の奇跡をじっと待っていただけ。そして、いつになるかわからない、もしかしたら叶うことはないかもしれないと、それでも長年出会いを待ち続けていたその時間こそが、さらに、セキさんの“母としての自覚”を、より健やかに、堅固なものに育んだのだろう、と。
「大変なんだけど、それ以上に幸せでした」
「長女はよく泣く子で。とくに団体の方と離れてからの数日は、周囲の人や環境が変わったこともあってだと思いますが、本当によく泣いていたので、ずーっと抱っこしてあやして、大変でしたねえ。そうそう、夜も眠れませんしね。でも、『こういうことがしたかったんだ!』って、その喜びを噛み締めていました。抱っこして、ミルクをあげて、おむつを替えて、赤ちゃんの一挙手一投足に、『ああ、かわいいなあ』って微笑ましく見惚れて、1日があっという間に過ぎていきました。とっても大変なんだけど、それ以上に楽しかったし、幸せでした!」(セキさん)
もちろん、斡旋してくれた団体のサポートもありました。迎え入れる際には、出産してから迎え入れまでの、ミルクをあげた時間や排泄回数、それまでお世話していた方が気づいた点などが詳細に記録された日記が手渡され、迎え入れた後も定期的に赤ちゃんの様子を確認しに団体のスタッフがセキさんのお宅までやって来ました。
すっかり親しくなっていた同じ団体の先輩ご家族からは、ベビーベッドなどの赤ちゃんグッズを譲ってもらいましたし、赤ちゃんのお世話で困ったときには気軽に相談もできました。
「大変だけど、楽しくて仕方ない、幸せしかない」セキさんの初めての赤ちゃんとの生活は、そんなふうに始まりました。
次回は、長女が1歳を過ぎてから参加し始めた“自主保育”という、ユニークな活動についてを。
〈撮影/高橋京子(1、3枚目)、前田景〉
遊馬里江(ゆうま・りえ)
編集者・ライター。東京の制作会社・出版社にて、料理や手芸ほか、生活まわりの書籍編集を経て、2013年より北海道・札幌へ。2児の子育てを楽しみつつ悩みつつ、フリーランスの編集・ライターとして活動中。