(『もっと早く言ってよ。50代の私から20代の私に伝えたいこと』より)
[20代の私]
気がつくと、周りの人の欠点を探し、批判の目で見ている自分がイヤになる。
[50代の私が伝えたいこと]
人を下げて、自分を上げていませんか?
「いいこと探し」ができないのは、「負けたくない」からなんじゃなかろうか
ふと気がつくと、周りの人の欠点ばかりをあげつらっている自分にハッとすることはありませんか?
そして、同じ人に会っている友人が、その人の「いいところ」をちゃんと見つけて褒めているのを聞いた時、私って今までなんて意地悪な視点しか持っていなかったんだろう……と反省することってない?
周りにいる人の「いいところ」を見つけたいのに、どうして「足りないところ」に目がいって、批判の目でばかり相手を見てしまうんだろう?
それを私は長い間、「‟良い”‟悪い”を見極める目が厳しいから」だと思っていました。
つまり、何でも「すごいねえ〜」と褒める人は、持っているものさしが甘い。そう考えていたんです。とんでもない思い上がりだよねえ。
ある時、もしかして「いいこと探し」ができないのは、私が「負けたくない」からなんじゃなかろうか?と気づいた時、あぜんととしてしまいました。そう、「人を下げる」ことで、「自分を上げたかった」だけなんだよ……。
私は優等生体質なので、人に褒めてもらうことが大好きです。だから、知らず知らずのうちに、隣にいる人より「私の方がすごいもん!」というヘンな競争意識が発動し、どんな素晴らしい人と会っても、どこかに「自分よりできていないこと」を見つけようとしていた。そうして「よし、自分の方が上だ」と安心したかったのかも。なんてこった!
でもね、そんなふうに「誰かの上に立つ」という接し方をしていると、独りぼっちになっちゃうんだということに気づき始めました。
私の周りの素敵な人たちは、知り合う人とどんどんつながって、何かを教えてもらったり、互いに「できること」を交換し合い、新しい扉を開けていたんだよね。
いいなあ、私も仲間に入りたいなあと思った時、ああ、そろそろ「負けず嫌い」を卒業し、隣の人と手をつなぎたいと思ったのでした。
相手に悪意を想定しない
ある人が、感情マネジメントで大切なことは「相手に悪意を想定しないこと」と書いていらして、なるほどなあ〜と思いました。
つまり、私たちの周りにいる人は、大抵が気持ちの優しい、いい人だと信じていいってこと。これを聞いてずいぶんびっくりしたなあ。
だって私は、「信じているのに、冷たい仕打ちを受けたらよりつらいから、自分が傷つかないように、相手を信頼しすぎるのはやめよう」って、どこかでブレーキをかけてきたから。「きっとみんないい人」と思えば、誰にでも笑顔を向けられるし、心のガードを外して、話し方さえ変わってくる気がします。
あの人より「上」とか「下」とか、そんな関係を手放すために必要なことは、相手をジャッジしないということなんじゃないかなあ。
段取りが悪くたって、決断力がなくたって、それがその人の個性だと思えばいい。段取りの悪さの裏側には、みんなの意見を尊重する優しさが潜んでいるかもしれないし、決断力のなさの奥には、粘り強さがつながっているかもしれないでしょう?
それが「悪意を想定しない」ってことにつながる気がします。「私の方が……」という優越感を手放す練習をすれば、周りにいる人の「いいところ」をたくさん拾い上げ、誰かと一緒にハッピーになれるかも。
オセロを黒から白へ変えるように、世界を見る目をくるりとひっくり返したいなあと思っています。
本記事は『もっと早く言ってよ。50代の私から20代の私に伝えたいこと』(扶桑社)からの抜粋です
一田憲子(いちだ・のりこ)
1964年生まれ。 編集者、 ライター。 OLを経て編集プロダクションへ転職後、フリーライターとして数々の書籍や雑誌で活躍。 取材やイベントで全国を飛び回り、 著名人から一般人まで、 これまで数多くのインタビュー取材を行い、 その独自の筆致には定評がある。近著は『もっと早く言ってよ。50代の私から20代の私に伝えたいこと』(扶桑社)。ホームページ「外の音、 内の香 (そとのね、うちのか)」では、暮らしの知恵を綴っている(https://ichidanoriko.com/)。
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50代になったイチダさんが「はたとわかった」これからの人生を豊かにする40のことを紹介。
「この本では、50代の今の私が『わかった』ことを、20代だった私に語りかける形で綴ってみました。私と同世代の方には『そうそう!』と共感していただけるかもしれません。20代、30代のまだ惑いの中にいる方には、不安や悩みを少し和らげるちょっとしたヒントになるかもしれません。」(一田憲子さん はじめにより)