• パートナー、家族、両親、友達……。人生の後半を迎える編集者・ライターの一田憲子さんが、幸せに歳を重ねるために考えた、人との関わり方や関係性についてご紹介します。
    (『人生後半、上手にくだる』より)

    「誰にも必要とされない」から「誰かの役に立つ」へ

    歳をとって、もし夫が先に逝き、そんなに社交的でもない私がひとりぼっちになったら、いったいどうやって日を過ごすのだろう? 誰も誘ってくれなくて、誰も遊びに来てくれなかったら寂しいなあと思っていました。でも、ずっと誰かを待っているだけ、というのもなんだかむなしい……。だったら、ちょっと考え方をくるりと反転させてみようか、と最近考えるようになりました。

    「誰かに必要とされるか否か」は、私がコントロールできることではありません。そこであれこれ思い悩まず、「誰かのために自分ができることは何だろう?」 と考えてみた方がずっと建設的かも、と思った次第です。

    でもいったい誰のために? 誰かがどこかで困っていたり、助けを必要としていたり……。それは、突発的なできごとのはず。だとすれば、「あ、今だ!」と思った時、すぐに動くことができる自分でいたいなあと思います。

    「誰かのために」というのは、思っているよりも面倒くさいし、時間がかかるものです。たとえば知り合いが新型コロナウイルス感染症の陽性だとわかった時、ご飯を作って届けるなら、買い物に行き、夕飯に間に合うように料理をし、密閉容器に詰めて、自宅まで運ぶ、という手順が必要です。食べるものを見繕って送るなら、すぐに食べられる果物やレトルト食品やおやつやフレッシュジュースを買いに行き、段ボールに詰めて送らなくてはいけません。これだけでもかなりの手間です。「ま、いいか」と見過ごせば、やらなくても済みます。でも、行動を起こしてみると、意外や「そんなに大変でもなかったなあ」とわかったりもします。

    誰かの役に立つ、ということは、こんな小さな積み重ね。今までなら、仕事で忙しくて、そこまでできなかったことを、人生後半になってたっぷり時間を持てるようになるからこそやってみたいなあと思っています。

    でも、それにはどうやら練習が必要のよう。どこかの誰かの声を聞き逃さず、それを「自分ができること」に置き換えて、何をどうすればいいか計画し、今すぐ行動に移す。そんな反射神経は、とにかく行動してみて「ああ、よかった」とにんまりする、という成功体験を積み重ねることで鍛えられるのかもしれません。きっとすぐにはできないだろうから、今から「そのつもり」で、少しずつ練習を始めてみるつもり。

    「老後には、誰かの役に立つ人生を送ろう!」という壮大な計画を立てるわけではないのです。ただ、明日を迎える意識を今までとちょっとずらしてみるだけ。自分の人生を見つめる目を「誰かに必要とされたい」から「誰かのためにできること」へと変えるだけで、日々を過ごす心持ちはずいぶん変化するんじゃないかなあと思っています。

    友人が旅に出かけるとしたら、自分が行ったことのあるおすすめのショップリストを送ってあげる。なかなか手に入らないクッキーを売る店に行ったら、「あの甘いもの好きの人にも」とひと箱余計に買ってくる。

    画像: 「誰にも必要とされない」から「誰かの役に立つ」へ

    そんな視点の変化によって、今まで静かだったあの人との間にある空気が動き出します。小さな行動によって、あの人との間に「思い」「思われる」という交流が生まれる……。それを、老後のお楽しみにしたいなあと思っています。

    ただし……。「誰かのために」が「おせっかい」にならないように注意が必要。私の友人のひとりは今、娘さんと絶縁状態にあるそうです。娘さんは仕事を辞め、もっと自分が本当にやりたいことをやろう、と考えたものの、次の仕事がなかなか見つかりませんでした。心配した友人は、娘のためと思いあれこれアドバイスをしました。

    でも……。娘さんは、自分の考えに次々とダメ出しをされ、母親の価値観を押し付けられたように感じたよう。ある時、 爆発して「もう私に関わらないで!」と連絡を絶ったのだとか。「私は、娘のためにと思って……」と友人は語りますが、私が聞いていても、彼女は自分が正しいと思うように、娘をコントロールしようとしているようでした。

    「誰かのために」と動く時、「自分の正しさ」を振りかざさないように気を付けたいもの。「こっちの方がいいに決まっているから、あの人はこうすべき」という考え方は危険。どんなに自分が正しいと思っても、人は人を変えることはできない……。そのことを肝に銘じておきたいと思います。

    あの人の役に立つかもしれないからあの人が喜んでくれるかもしれないから。「誰かのため」は、「もしかしたら」1歩下がりながら、「これどう?」と手を差し出す程度でいい。人生の後半、そんなささやかな交流を楽しめたらいいなあと思っています。

     

    本記事は『人生後半、上手にくだる』(小学館)からの抜粋です


    画像: 誰かのために自分ができることを|人生後半、上手にくだる/一田憲子

    一田憲子(いちだ・のりこ)
    1961年生まれ。編集者・ライター。OLを経て編集プロダクションに転職後フリーライターとして女性誌、単行本の執筆などを手がける。企画から編集、執筆までを手がける『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(共に主婦と生活社)を立ち上げ、取材やイベントなどで、全国を飛び回る日々。著書に『もっと早く言ってよ』(扶桑社)、『大人の片づけ』(マガジンハウス)、『暮らしを変える書く力』(KADOKAWA)ほか多数。暮らしのヒント、生きる知恵を綴るサイト「外の音、内の香 」を主宰。https://ichidanoriko.com/「暮らしのおへそラジオ」を隔週日曜日配信中。

    ◇ ◇ ◇

    『人生後半、上手にくだる』(一田憲子・著/小学館・刊)

    『人生後半、上手にくだる』(一田憲子・著/小学館・刊)

    『人生後半、上手にくだる』(一田憲子・著/小学館・刊)

    40~50代は、高齢期まではまだ時間はあるけれど、「もう若くない」「これからどうなるのか」と不安が募る年代。今までは「もっともっと」と上を目指していたけれど、いつかは「老いる」ことを受け止め、徐々に下り坂を経験しなければなりません。

    この「人生後半」を、どのように受け止め、過ごしたらよいか。暮らしを見つめる人気ムック「暮らしのおへそ」編集ディレクター・一田憲子さんが、これからの自分らしい「生き方」「暮らし方」を提案します。下り始めなければならない時がきたら、

    「『もう私は成長できない……』としょんぼり下るのではなく、上り道では見る余裕がなかった眼下に広がる風景をゆっくり眺めながら、ご機嫌に下りたいなあと思うのです。」(本書より)

    「老いる」ことによって体力は衰え、できなくなることは増えていくかもしれないけれど、歳を重ねてきたからこそ、今までとは違った気づき、発見に出会う楽しみもあるー。50代後半となった一田さん自身も迷いながら考え気づいた、これからの暮らし、人間関係、自分の育み方、学び、老いとの向き合い方、装いなどを提案。これからの人生に明かりを灯すエッセイ集です。



    This article is a sponsored article by
    ''.