(『天然生活』2019年12月号より)
母を支えることを介護と思ったことはない
母を支えることを、とくに介護とはとらえていなかったと話す阿部さん。そういった距離感、考え方は、どこから生まれたのでしょう。
「大学を卒業したころ、学費は返すよう父にいわれて、せっせと返しました。そのとき、じゃあ私も面倒は見ないでいいのねと。サラリーマン家庭でしたが、そういう、個の自立の家なんです」
30代のころ、阿部さんは宣言します。
「私たちは別々の人間で、みんな働いている。あなたたちが年をとったとき、私たちは面倒を見ることはできない」
結果、互いを尊重し、程よい距離感でつきあえたようにも見て取れます。食費や施設費など、日常の支出は、すべて自身が。でも家の修理など、大きなお金は子どもたちが。独立しているけれど見捨てない。ドライに見えてやさしさのある関係です。
「ある意味では介護なのかもしれませんが、私は人間の、当たり前の親子関係の支えだと思っていますから。介護という言葉があるから、やってあげている、やってもらっているという関係性が生まれてしまう気がして、そこが違う気がするのです。介護されるのが嫌というプライドの高い人だっているかもしれませんが、そのあたりの垣根がなければ、人間同士がただ助け合っている、ととらえられるのではないかと思うんです。
年齢も関係ないし、若いから助けないとかそういうことでもないでしょう? 若い人だって骨も折るし、熱中症にもなりますから。だからどの人も一緒だなと思います。介護を重たく考えずに、なったときに考えようの精神でいいのかな、と」
自分らしく介護するヒント
介護しなければと考えない
介護という考え方自体がイヤ。老人だから、身内だから助けるのではなく、ひとりの人として困っているから寄り添う。人として、当たり前のことをしているだけ。
頼ることを後ろめたく思わない
母の暮らしを支える技術を持ったプロはたくさんいます。自分は遠方に住んでおり、できることは限られます。きちんと頼って、母の快適な暮らしを最優先に。
信頼できるヘルパーさんを見つける
妹がプロのヘルパーなので、決め事の見極めは彼女にまかせ、ヘルパーさんには母の好みから性格まで、細かく伝えてあとは託したそう。母も次第に慣れていきました。
そのときはそのとき
母は潔い人で、口癖は「死ぬときは死ぬ」。一方、阿部さんの信条は、「反省はするけど後悔はしない」。人間、できることしかできないし、できたことができること。
〈撮影/山田耕司 取材・文/吉田佳代〉
阿部絢子(あべ・あやこ)
1945年新潟生まれ。大学卒業後、洗剤メーカーに勤務。独立後は家事をはじめとする生活研究の第一人者として活躍。一方で1982年から2013年まで百貨店の消費者相談室に勤務。2009年からは薬剤師としても働き始める。また海外でホームステイをし、環境問題の研究も。『ひとりサイズで、きままに暮らす』『ぶらり、世界の家事探訪〈ヨーロッパ編〉』『老いのシンプル節約生活』(ともに大和書房)、『ひとり暮らしのシンプル家事』(海竜社)など著書多数。
※ 記事中の情報は取材時のものです
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