※年齢はお話を伺った当時のものです。
(『おばぁたちの台所 やんばるでつないできた 食と暮らしと言葉の記録』より)
「見ーなり。聞きなりーで覚えた」“塩屋のよもぎ餅”
大宜味村の名物のひとつに「塩屋のよもぎ餅」があります。といっても店に並ぶ特産品ではなく、家庭でつくられる名物です。
沖縄でニシヨモギはフーチィーバーと呼ばれます。本土のよもぎに比べて苦味が少なく、葉が大きいのが特徴です。昔から食材として、薬草として、親しまれてきました。
塩屋に暮らす美佐子さんは、餅づくりの名人です。そしてじつは、「塩屋のよもぎ餅」の本家本元。
この日も大きなザルに、たくさんのよもぎ餅を用意してくれました。
「だんなさん(夫)の親が鹿児島出身で、明治30年に沖縄に(医師として)派遣されて来てる。これ(よもぎ餅)、鹿児島の名産だから。最初、塩屋で教えて、大兼久(おおがねく)(「笑味の店」がある集落)、喜如嘉(きじょか)(大宜味村の集落)へ広がったわけよ」。
お嫁に来た美佐子さんが「見ーなりー、聞きなりーっていってね、目で見て、耳で聞いて覚えた」というよもぎ餅のつくり方は、とにかく手数が多く、フードプロセッサーでもなかなか手ごわいよもぎの繊維を潰すのに棒を使ってつつく手法。
「昔はアクで茹でよったけど、今は薪がないから重曹入れてやるわけ。よもぎをきれいに洗ったのを入れて沸騰させて、炭酸の匂いがするからって3回くらい洗って、汁は捨てて、カスを入れて」と、よもぎをつつくのに30年くらい使っている釜を見せてくれます。
よもぎ餅に加え、冷凍しておいたよもぎを使ってサーターアンダギーをつくってくれると言います。段取り良く大胆に料理が進みます。
本記事は『おばぁたちの台所 やんばるでつないできた 食と暮らしと言葉の記録』金城笑子・著(グラフィック社)からの抜粋です
<撮影/田村ハーコ 書籍企画・構成/しまざきみさこ 執筆・編集協力/黒川祐子>
金城笑子(きんじょう・えみこ)
昭和23(1948)年、沖縄県本部町備瀬に生まれ、名護市で育つ。昭和44(1969)年、女子栄養短期大学卒業。沖縄に戻り、昭和48(1973)年、学校栄養職員に採用される。平成2(1990)年、大宜味村の食文化やその知恵を後世に伝えるべく、食堂「笑味の店」をオープン。集落のおばぁやおじぃたちがつくる島野菜などを使った、美味しく栄養満点の家庭料理を提供し、その味を求めて国内外から多くの客が訪れる。
インスタグラム:@eminomise
「笑味の店」ホームページ:https://eminomise.com/
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