(『天然生活』2021年9月号掲載)
調理の中心は七輪。ガスや電気の調理器具は、あくまで七輪の補助として
牧野伊三夫さんの朝は、献立会議から始まります。妻とふたり、本日の献立を決めて書き出し、一日が動き出します。
煮炊きの基本は、七輪。キャンプや来客など、イベントのために七輪を使っているのではなく、日常の調理の中心に七輪があります。
「七輪の補助として、ガスや電気の調理器具がある」といいます。
食事開始の2時間くらい前に、火起こしに入れた炭をガスであぶって火をつけて、七輪に移しておきます。
「毎日使うから、炭はそんなに高級なものでなくていい。安くて火持ちがそこそこよくて、においがいいもの」を。
いまは近くの燃料品屋で、岩手のナラ炭を買っています。「豆炭(まめたん)もまあまあいいけど、情緒がないからね」というように、大事なのは「見た目と火持ち」。
やってみたら、めちゃめちゃうまかった
牧野さんが、こんなふうに七輪を使うようになるには、実は長い道のりがあります。
きっかけは26、27歳のころ。湯布院の温泉旅館で、燃える炭火を見て、いいなと思ったことでした。「そのころ、疲れていて」、思いがけず炭火になぐさめられました。
というわけで、さっそく東京に戻ってから火鉢を買って、藁灰、五徳、炭を準備。ところが、どうやって炭に火をつけていいかわかりません。
着火できたものの、どのくらいでいい状態になるのか、見当もつきません。試行錯誤しながら、最初は火鉢でお茶を沸かしていましたが、やがて火鉢にやかんをかけ、酒の燗をするように。酒飲みである牧野さんにとって、一日のすべてはよい晩酌のためにあるのです。
さらに、夏目漱石が炭火でパンを焼いているくだりを本で読み、おいしそうだなと思い「やってみたら、めちゃめちゃうまかった」ので、食パンを焼くようになります。
この辺りからどんどんエスカレートしていくのですが、まだ火鉢どまり。七輪を家に迎え入れるには至りません。
しかし今度は、永井荷風にゆさぶられ、「荷風が七輪ですき焼きをしている写真を見て」無性に肉を焼きたくなります。
当時住んでいた貸アパートは、石油ストーブ禁止ではあっても、七輪禁止とはいわれていないのをいいことに、部屋の中に七輪を迎え入れ、さっそく畳を焦がす始末。安全対策に工夫を重ね、本格的に七輪調理の道にのめり込んでいきました。
うるめいわしはOK。生魚はガスで。どんなに煙っても焼きたい羊肉
串を買ってきて、きりたんぽをつくったり、肉、魚、野菜、いろいろ焼いてみたらどれもおいしくて感激。
問題は煙です。火災報知器を鳴らしたこともたびたび。いまや牧野家には、「七輪で焼いても煙が出ないものリスト」があります。「うるめいわしはOK。でも、生魚はだめ」など。そういうものは、すみやかにガスで調理します。
けれど「どんなに煙が出ても、これだけはあきらめられなかった」のが羊肉。夏に窓を開け放って羊肉を焼いたら、前に座る友人の顔が見えなくなるほど煙がたちのぼり、翌朝は家じゅうが羊肉くさいなかで、油煙でいぶされた天井や本棚をふいたことも。それでも、いまも焼き続けます。
逆にいえば、そうまでしてなぜ七輪で焼きたいのかといえば「食いたいものが、ガスではおいしく焼けない」から。七輪で焼いたほうが、圧倒的においしいから。
牧野さんにとっての料理のおいしさとは、「お酒のじゃまをしないこと」。家での食事は、大切な人たちとの大事な時間。にぎやかに、和やかに過ごすための七輪です。
〈撮影/尾嶝 太 取材・文/佐野由佳〉
牧野伊三夫(まきの・いさお)
画家。福岡・北九州市生まれ。多摩美術大学卒業後、広告制作会社に勤務。退社したのち、画家として活動。著書に『かぼちゃを塩で煮る』(幻冬舎)など。
※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです