• 戦後80年。多くの日本人にとって戦争は遠い過去のものとなりつつあります。大切な記憶を引き継いでいくために、そして平和の大切さを改めて考えるために、10代前半で終戦を迎えたノンフィクション作家の澤地久枝さんに、暮らしがどう変わっていったか、どのような思いで日々を過ごしていたのか、忘れることのできない戦争の日々を語ってもらいました。今回は、終戦後について。
    (『天然生活』2021年9月号掲載)

    戦争を描く映画を見て、戦争がどういうものか理解した

    戦後、働きながら大学へ通うなか、1950年に『きけ、わだつみの声』という映画で初めて戦場で人が死ぬところを観て、戦争とはこういうものだったのかとやっとわかった気がしました。

    同時に、自分がいかに愚かな軍国少女だったのかと思い知り、二度とこれを繰り返さないと思ったのです。

    この恥の感覚はいまも持ち続けていて、それが私の作家活動や「九条の会」などの反戦活動の原点になっています。

    いま、戦時中の私と同じ14歳前後の子たちは当然戦争を知らないし、その親世代も知らないでしょう。

    でも遡っていけば、必ず日本人の過去には戦争がある。だれも死にたくて死んだわけではないですし、死にたくない人を死に追いやった。これは本当に辛いことです。

    命はかけがえのないもの。ひとつしかなく、一度失うと戻ってこない。だからこそ平和の尊さについて、若い世代にも考えてほしいのです。

    画像: 戦後、東京に戻り都立向丘高等学校に通っていたころの写真。左端が17歳の澤地さん。「まだ敗戦による挫折を抱えていて心が閉じていた時期です」

    戦後、東京に戻り都立向丘高等学校に通っていたころの写真。左端が17歳の澤地さん。「まだ敗戦による挫折を抱えていて心が閉じていた時期です」

    澤地さんと戦争

    1930年(昭和5年) 9月3日。東京・赤坂市(現・港区)で、大工の娘として生まれる

    1934年(昭和9年) 父親の仕事の関係で、満州へ渡る

    1939年(昭和14年) 第二次世界大戦始まる

    ノモンハン事件が起こる

    満州とモンゴルの国境にて、日本軍とソ連軍の衝突

    1941年(昭和16年) 太平洋戦争が始まる

    1943年(昭和18年) 満州の吉林高等女学校入学

    1944年(昭和19年) 学徒勤労動員の学徒勤労令が発令

    1945年(昭和20年) 8月6日 広島原爆投下

    8月9日 長崎原爆投下

    8月15日 終戦 難民生活が始まる

    1946年(昭和21年) 日本に帰国


    〈取材・文/嶌 陽子〉

    澤地久枝(さわち・ひさえ) 
    ノンフィクション作家。中央公論社勤務を経て1972年『妻たちの二・二六事件』でデビュー。菊池寛賞の『記録ミッドウェー海戦』など著書多数。満州時代について書いた『14歳〈フォーティーン〉』(集英社新書)がある。

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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