(『妻が余命宣告されたとき、 僕は保護犬を飼うことにした』より)
ようこそ小林家へ
「ただいま!」
マンションのドアを勢いよく開け、いつもより大きな声で言う。抱えていたトートバッグを床にそっと置くと、アンズが恐る恐る顔をのぞかせた。
「え?? なに?? これどうしたの!! 」
玄関に一番近い部屋にいたつむぎが驚いて大きな声をだした。その声に反応して、まず事態を把握しているときおが、そして、騒ぎに気づいた薫がリビング奥の寝室から這うようにして玄関にやってきた。
「え!! 」
「なに、どうしたの?? 」
「なに? 犬? 犬飼うの?」
想定外の事態を飲み込めない薫は大きな目を白黒させると
「あはははははは」
急に大声で笑い出した。つられるように子ども達もみな大声で笑った。少し緊張していた僕は薫の笑いに救われて安堵した。そのまま、玄関にみんなでしゃがみ込んで、アンズを眺める。
「ねえ、抱っこしていい?」
つむぎがアンズをそっと抱えると、不思議と安心した様子で体をつむぎにあずけた。足の間にすっぽりとおさまり、そっと顔をあげオドオドと周囲を見回している。
「かわいいねえ、この子は男の子? 女の子?」
薫が聞いた。
「女の子だよ。雑種の女の子。山口県で保護されたんだって。そのままだと殺処分になってしまうから、誰か大切にしてくれる家族を探していたんだ。だから、うちでこの子を引き取ろうかと思ってね」
「うん、いいね! いいね!」
薫はすぐに賛成してくれた。
「ほら、ちょうど薫の誕生日でもあるし、いつか犬を飼いたいねって言ってたでしょ。だからそれは今じゃないかなと思って」
黙って犬を連れてきてしまったばつの悪さを隠すように伝えた。
家族4人揃って床に座り込み、固唾をのんで、じっとアンズを見つめる。初めて見る人たちに囲まれてジロジロ見られていては、あまりの恐怖にリラックスもできないだろう。
「置き物みたいに固まってるよね。それになんでこんな悲しそうな顔してるの?」
薫が興味津々に身を乗り出してアンズをしげしげと眺めている。そして「生い立ちを教えて?」と聞いた。
「この子は山口県の周南市の公園で保護された子犬たちの中の一匹で、そのままだと12月11日に殺処分されてしまうところだったんだよ。インスタグラムを通じてそれを知った石田ゆり子さんや雅姫さんが里親になってくれる人を探していたの」
「そうなんだ、だから悲しそうな顔してるのかな? でもかわいいねえ」
そーっと手を伸ばしてアンズの背中に手を添える薫。少しだけビクッとしたけれどアンズは動かずにじっとその手を受け入れる。ゆっくり、ゆっくりと背中を撫でる。つらかったね、こわかったね、そんな思いを伝えるように。
「名前はどうするの?」ときおが聞いた。
「うん、さっき運転しながらずっと考えてたんだけど、福はどうだろう。小林家に福がやってくるように福と名付けようと思う」
みんな、黙ってうなずいた。幸せ、幸運、運がいいこと。僕らは神様から福を授かったのだ、
そう思った。福よ、これから小林家に幸せを運んでおくれ。
本記事は『妻が余命宣告されたとき、 僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)からの抜粋です
小林孝延(こばやし・たかのぶ)
月刊誌『ESSE』、『天然生活』ほか料理と暮らしをテーマにした雑誌の編集長を歴任。女優石田ゆり子の著作『ハニオ日記』を編集。プロデュースした料理や暮らし周りの書籍は「料理レシピ本大賞」で入賞・部門賞などを多数獲得している。2016年からは自身のインスタグラムにて保護犬、保護猫にまつわる投稿をスタート。人馴れしない保護犬福と闘病する妻そして家族との絆を記した投稿が話題となる。連載「とーさんの保護犬日記」(朝日新聞SIPPO)ほか。ムック『保護犬と暮らすということ』(扶桑社)シリーズもリリースした。初の著書『妻が余命宣告されたとき、 僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)が発売中。
インスタグラム:@takanobu_koba
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妻の末期ガン闘病中、家族は会話もしなくなり最悪の状態に。そんな中、モデルでデザイナーの雅姫さんに保護犬を飼うことをすすめられ出会ったのが「福」だった。編集者・小林孝延さんの「福」との出会いと日々を「福」の写真とともに綴った家族の物語。