(『天然生活』2022年1月号掲載)
とらわれを手放す
部屋の片づけなどに支障があるにもかかわらず物が捨てられないとしたら、自分自身がその物に対する価値をつくり出していて、それらにとらわれている状態といえるのだそうです。
「思い出の品だから」は過去に、「また使うかもしれないから」は未来に、とらわれていることの表れ。また、「私にとって大切な物」は、捨ててしまうと自分がそがれるような不安があるのかもしれません。
いずれにせよそれらは思い込みで、「いま、ここ」に意識を向ける行動とはかけ離れています。物は単なる物でしかなく、手放しても問題はありません。
「こうした日常のなかでの気づきを、禅では大切にします。手放してしまえば、すっきりと気持ちが楽になるものです」
「自分が正しい」を手放せば、人間関係が楽になる
職場、友人、家族内においても、人間関係のトラブルのもとになりがちなのは「正しさ」の押し付けです。凝り固まった思考のとらわれを手放すには、さまざまな価値観に触れることが肝心。
「その点でいえば、いま、SNSの使い方がもったいないように思います。本来は、ふだんの生活では出合えない価値観に触れられるメリットがあるはずなのに、いまはその反対に、自分と同じような考え方の発信ばかりとつながるという、狭い世界に入っていくだけの状況になっています。自分が正しいを手放す一歩として、違う意見を『ひとまず聞く』という姿勢をもち、たとえ自分と反対の意見でもじっくりと眺めてみるという機会を意識的に増やしてみましょう。答えはひとつではない、人それぞれに考えがあるのだとわかれば、心が広くなり、人づきあいに余裕が生まれます」
物を減らすと、なくても大丈夫な自分になれる
「私が出家するときの持ち物は、行李(こうり)ひとつ分の私物だけでした。でも、意外にも困ることはなく、むしろ物を管理するわずらわしさから解放されて快適だったんです。実は幼少のころからテレビっ子で、『修行に入ると社会からおいてけぼりになるのでは』との懸念がありましたが、まったく平気。情報こそ、常に更新されていくものなので、下山してからも何も問題はありませんでした」
物がなくてもゆずり合えばいいし、少ない物でも暮らせることがわかった吉村さんは、それ以来、手放すことが不安ではなくなったといいます。
「物が欲しい気持ちをひも解くと、人が持ってるからという欲求だったり、それを身に着けて自分を大きく見せたいという煩悩だったり。そういったところから離れて、物に依存しない自分、素の自分になれたという気づきがありました」
迷ったものから手放すと、どんどん身軽になれる
物を手放すための近道は、とにかく一回、「捨ててみる」を試すこと。考えるよりも行動の重視の法則です。
物がなければないで、それなりにやっていけるという経験ができれば、手放すことに不安がなくなります。本来は、捨てやすい物から手放し、成功体験を積むのがゆるやかな進め方ですが、「それじゃあ、なかなか決心がつかない人」は、物に優先順位をつける方法も。
「あれもこれも捨てられないと思ってしまう場合、自分に向き合い、必要なものはなんなのかを整理するプロセスがあるといいでしょう。まず、絶対に捨てられないものを10として、比較しながらレベルを分けていきます。その後、4~6などまんなかのレベルあたりの『捨てられるかどうか悩むもの』を思い切って捨ててみると、それ以下のレベルのものが一気に手放せるようになります」
<監修/吉村昇洋 取材・文/石川理恵 イラスト/紙野夏紀>
吉村昇洋(よしむら・しょうよう)
曹洞宗八屋山普門寺副住職であり、公認心理師、臨床心理士として精神科病院に勤務。『心とくらしが整う禅の教え』(オレンジページ)ほか著書多数。
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです