(『天然生活』2021年9月号掲載)
特別養子縁組で4人家族になりました
家族構成:夫、妻、長女、長男、猫2匹
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです
ピカピカのランドセルをひっくり返し、「これが教科書だよ」と教えてくれたかと思えば、外へピューッと飛び出し、「こっちに来て〜」と手招きするおてんばな長女。
初めて見る顔にびっくりして、そおっとお父さんの足元に隠れる長男。ふたりは特別養子縁組で、セキユリヲさん、清水徹さんと家族になりました。
雑誌などのエディトリアルデザインを手がけるほか、自然や旅の風景をヒントにテキスタイルもデザイン。職人と誠実なものづくりを展開している、セキさん。
夫の清水さんは、住宅の設計や、椅子や食器棚など木製家具のデザインを手がけています。
セキさん29歳、清水さん32歳のときにふたりは結婚。
「子は欲しいけど、いつか自然とできるかな」
多くの女性が思うように、セキさんもそんなふうに考えていました。何より目の前の仕事が「とにかく楽しくて」仕方ない。
「いま思えば、当時から夫婦で子についてもっと話しておけばよかったです」
1年間スウェーデンへ。養子を育てた方との出会い
仕事に邁進してきたセキさんが、子どもに関して焦りを感じるようになった、30代後半。かねてからの希望だった海外暮らしが実現する運びとなります。
「スウェーデンにある芸術学校の、2〜3週間のサマーコースに参加したらとても楽しくて。夫婦で留学を決めました」
一方で「帰国後は子どものことを真剣に考える」と日本を発つ前から決意し、その考えは夫婦で共有していました。
スウェーデンでの暮らしは、とても充実したもの。24時間作品づくりに没頭できる幸せな環境に、周りの自然が普段の暮らしに密接に関係する現地の生活が、仕事一辺倒に過ごしてきたセキさんに大きな感動を与えました。そしてここで運命的な出会いがありました。
「近所に養子を育てた女性がいらして。韓国人の子を育て、いまニュースキャスターをしているのよと、胸をはって教えてくれました」
以前から養子や里親に興味があったセキさんに、彼女の誇らしげな姿はぐんと現実味を与えました。
「こんな形で幸せになれるんだ!私にもできるかもって。夫もためらいなく賛同してくれました」
帰国したセキさんはさっそく情報を集め、特別養子縁組を斡旋する、とあるNPO法人に入会。
「不妊治療もしたのですが、痛みがひどかったのと、私としては何か不自然な気もして。私は子育てしたいけど、他方では子に恵まれたけど育てられない人がいる。それなら私が育てれば、私も子も、産んだ方も幸せですよね」
実際に日本で養子を育てている家族に夫婦で会いに行ったことも、その決断を後押ししました。
「そのご家族の仲睦まじい様子を見て、私も、と思いました」
法人が主催する研修や交流会に定期的に参加しながら、子を待ちわびる日が半年以上続きました。
「当時その団体は、夫婦どちらかは子どもが3歳になるまで子育てに専念する、という条件を設けていました。なかなか高いハードルですが、私は子育てをしたかったし、子の幸せを第一に考える団体への信頼にもつながりました」
そこでセキさんは、子を授かったら取る育休の予定を変更。まず仕事を休むことに。長女は、その2〜3カ月後にやってきました。
「駅に迎えに行ったときのことはいまでもはっきりと覚えています。感動して泣きましたね」
「どんな子でも迎え入れる」第2子はダウン症でした
長女は1歳を過ぎてから、参加する保護者が当番制で子を見ながら、内容や運営方針もすべて自分たちで決める、自主保育という活動に参加し始めました。
「どこからの補助も指導も受けない本当に自主的な場で、貴重な経験でした」
そろそろ第2子を考え始めたころ、連絡が入ります。「ダウン症です」と告げられても、セキさんに迎え入れる以外答えはありませんでした。
「夫は驚いていましたが、彼なりに勉強して。互いの家族含めみんなが納得し、喜んで迎えました」
そして家族はこの春、東京から、周囲を田園が囲む北海道は東川町へ。
庭先では念願の畑を始め、栗の木には清水さんがブランコをつくりました。ご近所さんからは自家製野菜のうれしいおすそわけも。
「みなさんいい方ばかりで、家族でのびのび楽しく暮らしています」
ご縁が重なって紡がれた、セキさん一家。
そこには、幸せに満ちあふれた家族の姿がありました。
<撮影/前田 景 取材・文/遊馬里江>
セキユリヲ(せき・ゆりを)
古きよき日本の伝統文化に学びながら生活雑貨づくりをする「サルビア」を始めて21年目。自然の美しさを表現したパターンデザインをはじめ、雑誌や書籍、プロダクトデザインの仕事多数。http://salvia.jp/ インスタグラム@salvia_official
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです