クラスメイトとの思わぬ再会
3年前。町中で突然、声をかけられました。でも、どなたか全くわかりません。声をかけてくれるということは知り合いのはずです。仕事先の方? お目にかかったことがある方? 数秒、記憶をたどるわたしがいました。
声をかけてくれたのは、短期大学で同じクラスにいた方でした。但し在学中は1度も話したことがないそうです。同じクラスに2年も在籍していて「話したことがない」というのは今では考えられないですが、記憶にない理由がわかりほっとしました。その時は、その方とは数分、立ち話をしただけなのですが、それからやり取りがはじまり、今では数カ月に1度、会うようになりました。
その後、しばらくして、今度は、中学高校時代のクラスメイトと会う機会が訪れました。とある場所でのイベントに中学校で同じクラスだった方が来てくれたのです。その方が繋いでくれたことで、再び、中学高校の友人たちとの関係がはじまりました。
違う時間を過ごしてきたと思っても、同級生には共有できる何かがある
わたしは、中学から同じ学校に8年間通っていたのですが、卒業してからはクラスメイトとは、ほとんど会っていません。クラス会に参加したのも1回だけ。積極的に会わなかったのは、進んだ方向がちがうと思っていたからです。
ほとんどの同級生は、高校からそのまま短期大学か大学に進み、卒業したあとは大きな企業に勤めるコースを選んでいました。わたしも一度はそうしましたが、すぐに自分のやりたい方向に舵を切り直しました。その選択に後悔はありませんが、その時期、きらきらした同級生と会うのが苦手だったのです。また、多くの人ができること(会社勤め)ができない自分に対し、劣等感を抱くこともありました。新しい人間関係が新鮮で愉しかったというのもあります。いま思うとそんなちいさなことで関係をせばめなくてもいいと分かるのですが、当時は、そうやって自分の居場所をつくっていく方法しか思い浮かびませんでした。
それが、どういうことか、いま、クラスメイトと会うのが愉しいのです。「あんなことがあったね」と当時の思い出にも笑いますし、卒業してからのその人の時間の話に耳を傾けることもできます。わたしから見たら順調に見える友人たちの人生にも、当然ですが悲喜があり、各自がかけがえない人生を歩んでいることがわかります。
まったく違う時間を過ごしてきたように思えても、その中には共有できる何かがあることを知ります。仕事でも、結婚、子育て、病気、介護と何かしらがあり、それらを経て、今の年齢になったわたしたちがいるのです。経験してきた出来事をそれぞれが抱き、分かり合えることに気づきました。
きらきらした、というのは、わたしが一方的に思っていただけのことなのです。誰でも言葉にしない背景があります。この年齢で自分の未熟さに改めて気づきました。
学生時代を振り返り、大人になって気づくこと
面白いことに、わたしに対しては「すきなことをやっていて羨ましい」という気持ちがあることも知りました。わたしからしたら課題がたくさんあり、それをどうしていこう──と考えることが多々あります。結局、人は、いいところだけしか見ないのかもしれません。そう。だから、その人の一面だけで判断することは、もう、しなくていいのです。
クラスメイトだったのでみんな同じ齢です。もうすぐ60歳。13歳、16歳、19歳で出会った人たちが、60歳になるのです。それだけで「がんばってきたね」と言い合えることが、素直にうれしい。
いまは、各自の暮らしがあり、会う時間も、日も限られています。その「無理のない範囲」で「愉しく過ごせるように」と配慮できるのもいいですね。学生の時には気遣えなかった点にも気遣えるようになりました。大人になるのは、いいものです。
住まいの近くで通っていた学校の制服を目にすることがあります。「わたしもあんな感じだったのかな」と思いながら、これからは、なつかしく新しい友人との関係をつくっていけたらと思います。
60歳までのメモ
1 会いたい人がいたら連絡をとってみる
2 実際に会ってみる
3 無理はしない
4 機嫌よく心地いい関係を築いていく
5 クラス会に参加してみる
広瀬裕子(ひろせ・ゆうこ)
エッセイスト、設計事務所岡昇平共同代表、other: 代表、空間デザイン・ディレクター。東京、葉山、鎌倉、香川を経て、現在は東京在住。現在は設計事務所の共同代表としてホテルや店舗、レストランなどの空間設計のディレクションにも携わる。主な著書に『50歳からはじまる、新しい暮らし』『55歳、大人のまんなか』(PHP研究所)他多数。インスタグラム:@yukohirose19