(『天然生活』2021年9月号掲載)
30日送り続けた母への手紙
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです
「メールよりも、手紙を書く回数の方が多いくらい。アナログな方法が好きなんです」
そう話してくれた、「モーネ工房」を主宰する井上由季子さん。切り紙のハガキやカードをはじめ、手と心を動かしてつくるコミュニケーションを提案しつづけてきた井上さんに、家族間での手紙のやりとりについて聞かせてくださいとお願いしたところ見せてくれたのが、この写真レターです。
A4のコピー用紙には、日曜日の定番だという朝ごはんのパンケーキに、愛犬のラフ、毎朝夫婦でウォーキングをする地元・仁尾の海……。
「4月に亡くなった夫の母、久喜子さんに宛てたものです。写真をプリントし、余白に日付と天気、短いメッセージを書きました。病室ではいまの季節どころか、その日のお天気すら感じることができないですから」
同居を始めて33年、ずっと元気だった義母の久喜子さんが入院することになったのは、今年の2月初旬のことでした。
世の中は、新型コロナウイルスの大流行中。面会はおろか、病棟への立ち入りすらできません。
「92歳ではじめての入院。面会もできず、どれほど不安かと。病室が生活の場となる人には、なんでもないふだんのことこそ大切なのだと、日常のかけらを届けました」
不安だったのは井上さんも同じです。隣町の病院までは車で片道30分。
顔を見ることすらできないいまは、手紙が久喜子さんと自分をつなぐコミュニケーションだと願いを込め、手紙を持ってナースステーションに通いつづけました。
「家族にとって、なにもできなくなることほど悲しいことはありません。できることがあると自分自身もそれに支えられ、元気でがんばれるんだと思います」
義母への手紙が看護師さんの励みにも
ある日、いつものように手紙を届けたときのこと。「わぁ、きれい!」と弾んだ声が上がりました。
「お花の写真だったんです。忙しい看護師さんたちも、美しいものを見たらその瞬間だけでもホッとするよね、と当たり前のことに気づかされました」と井上さん。
その後はフラワーアレンジメントを手がける友人に写真を提供してもらい、花の写真レターに、先生や看護師さんたちへ感謝の言葉を添えて一緒に渡すようになりました。
そして入院から2週間ほどがたったころ。わずかな時間ですが面会許可がおり、病室を訪れたときのことです。
「手紙を、すべて部屋の壁に貼ってくださっていたんです。うれしいと同時に、忙しい看護師さんの負担を増やしているのではと心配にもなりました。お手間をかけて申し訳ないと恐縮しながら伝えたら、『手間だなんてとんでもない! もっと持ってきてくださいね』と。家族の思いを感じると、自分たちも励みになるし、なによりこの病室に入ると温かい気持ちになるといってくださったんです」
このやりとりが、井上さんの心をやわらかくほぐしたのはいうまでもありません。
花の写真レターも、気づけばナースステーションの壁に貼られ、カラフルな景色となっていました。
<撮影/林 紘輝 取材・文/藤沢あかり>
井上由季子(いのうえ・ゆきこ)
香川を拠点に、夫・正憲氏とともに、子どもも大人も手と心を動かしてものづくりをする「モーネ工房」を主宰。医療の場にアートを取り入れるホスピタルアート、病院・高齢者施設でのデザインやワークショップも行う。著書は『大切な人が病気になったとき、何ができるか考えてみました』(筑摩書房)など多数。
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです