(『天然生活』2022年7月号掲載)
「こっちがいいかな」と自分で選択するのが大事
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです
豆を挽き、お湯をゆっくり注ぐと、部屋じゅうにコーヒーの香りが広がります。
「結婚していたときには、パートナーがコーヒーを淹れてくれていたので、離婚後、コーヒーの淹れ方がわからず、徳島で自家焙煎の豆を販売している『アアルトコーヒー』の庄野雄治さんにおいしい淹れ方を教えてもらったんです」
そう語る広瀬さんは、いまから10年ほど前に結婚生活に終止符を打ちました。
現在は香川県高松市在住。東京と行き来し、エッセイストとして文章を綴りながら、設計事務所で建築や空間ディレクションに携わっているそう。
東京出身で、なぜ高松? ずっと文章を書く仕事だったのに、なぜ空間ディレクション? 離婚後に広瀬さんに訪れた変化について伺ってみました。
入籍後、葉山に家を建てた数年後の2011年に、東日本大震災が起こりました。それまでも、できるだけサステナブルな生活をしたいと考えていたこともあり、都市を離れ、地方に移住するのは自然な流れだったそう。
「そのうち移住すると思っていましたが、震災で時計の針が一気に進みました。以前から水のきれいな土地で暮らしたいと思っていたので『まずは、動こう』という思いでした。具体的に先に移住したのはパートナー。私は震災という出来事があまりにも大きすぎて先のビジョン、持続可能な生き方って本当は何だろうと、それまで考えていたことに小さな敗北感と違和感を抱きながらも次に進もうという思いでした」
そこでパートナーが決めた土地が、知り合いから紹介された香川県でした。ところが……。
「震災後、彼は『環境に負荷をかけない暮らし』を求めるスピードがぐんと加速し、食料とエネルギーの自給を目指すようになったんですよね。それに対して、私は書く仕事と暮らしのバランスを大事にしていて。『環境にやさしい暮らしをしたい』という思いは同じだったけれど、バランスの取り方が違ってきてしまったんです」
当時、先にパートナーが移住し、広瀬さんは東京での仕事もあったので、月に1度、香川県に通い、その後、パトーナーの住む家の近くに住居を移しました。
「彼はすでに、エネルギーの自給を目指し電気・ガス・水道のない生活をしていました。だから、そこには住めなかった。これからどうしていきたいか、というビジョンを考えると、私にはその生活を一生続けるのは難しいと思いました。夫婦や家族であっても、人格や生き方はさまざまです。やりたいと思ったことを家族だから、夫婦だからという理由で『これはダメ』と止めたくはなかった。彼は、そこで自給しながらずっと生きていくという。私は私の人生でやりたいこと、やるべきことがある。ぼんやりとやりたいことが見え始めていたこともあり、一緒に暮らしていくのはきびしいという思いに至りました」
普通なら、「理想の暮らしを求めることと、私と暮らすこと、どっちが大事なの?」と詰め寄るところですが、無理やり相手を変えようとしないのが広瀬さんの強くてやさしいところ。
「ほとんどのことに関して、私は自己完結するので、離婚についても誰かに相談したことはないですね」と話してくれました。
<撮影/辻本しんこ 取材・文/一田憲子>
エッセイスト、設計事務所岡昇平共同代表、other: 代表、空間デザイン・ディレクター。東京、葉山、鎌倉、香川を経て、現在は東京在住。現在は設計事務所の共同代表としてホテルや店舗、レストランなどの空間設計のディレクションにも携わる。主な著書に『50歳からはじまる、新しい暮らし』『55歳、大人のまんなか』(PHP研究所)他多数。インスタグラム@yukohirose19
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです