これまでの「引き算」から、「足し算」へ
朝6時台に宿を出たのに、8時台の便に搭乗するまでの時間は意外に短く、残りのバーツを使い果たす目論見はかないませんでした。飛行時間は5時間半ですが、成田に着いた頃は陽が傾き、12日の間で秋はさらに深まっていました。
到着ロビーを出たすぐの場所に、夫と娘が待っていてくれました。この日は日曜日で、朝方、LINEで「迎えに行く」と言ってくれていたのです。こうして来てくれるとやっぱり嬉しい。
道中あったことなどを話しながら、クルマの窓から見る街は、バンコクの密度の高い賑やかさと比べると、静かで、ちょっと寂しく見えました。
帰国した翌日は、1日かけて掃除と洗濯です。私の日常は完全に復旧しました。
朝5時半に起き、夫のお弁当を作り、机に向かって仕事をしたり、買い物に行ったり、歯医者に行ったり。これまで通り、平々凡々な日常です。
ひとつだけ変化したのは、帰国した日を境に、ほとんど毎日、ソムタムを作るようになったことです。味を覚えているうちに復習して、自分のものにしたかったからです。
使い方が難しいプラーラーではなく、液状の調味料ナムプラーラーを使い、タイのライムの代わりにシークワーサー汁やマイヤーレモンを使った自己流です。でも、作り方は、イサーンの屋台や食堂で見たやり方を踏襲しています。
ソムタムを作るためのサーク(搗き棒)とサーバースプーンは買ってきたし、クロック(搗き臼)も揃えました。
モノをたくさん持ちたくないがゆえに、いろいろなものを兼用してしのいできましたが、毎日必ず使うもの、大好きなものに限っては、それにしか使えなくても、専用の道具を持った方がいい。それを楽しむ時間が限られてきたならなおさら。
こんな小さなことですが、平凡な日常の中にタイが、というよりイサーンがちょっぴり加わるようになって、毎日が楽しくなりました。
毎日ソムタムを食べていたら、いつもは冬場に上がってくる血圧もおだやかで、体調もいい気がします!
人生いたるところにタイがある
出発前に計画していた「5つのやりたいこと」をコンプリートして、私の小さなタイの旅は終わりました。
●5つの目標
1 イサーン料理を食べて学ぶ
2 タイ国鉄の夜行列車に乗る
3 メコン川を見る
4 メークローン鉄道市場を見学する
5 チャオプラヤー川を見る
父が逝き、上の子が巣立ち、今度は下の子も、そして友との別れ。人生60年近くになって、これから先って「引き算」しかないと無意識に思うようになっていました。
いろんなものがなくなっていく人生に、意味を見出すのが難しくなっていたとき、たったひとりで勝手のわからない場所に行ったことは、「マイナスからマイナスをマイナスしてプラスにする」みたいな効果がありました。
久しぶりに、人生に足し算が加わったのです。
「いつかそのうち」という言葉がいかにむなしいものかは、友との別れで思い知った気がします。その日は思うより早く来てしまうのです。
もし、大きすぎて叶えられそうもない夢なら、縮めてでも、いったん叶えるべきなのです。
たとえカケラでも、ダイヤモンドはダイヤモンドです。カケラであっても、輝きが本物なら、その後の人生を明るく照らしてくれるかもしれません。
旅の様子は『50歳からの心の整理旅 』(オレンジページ)金子由紀子(著)に収録されています
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暮らしの達人・金子さんがたどった「じぶん再発見の旅」
50代で心のすき間を自覚、紆余曲折を経て、還暦を目の前にした58歳でついに念願だったタイ料理プチ研修&川・市場探検を実行! 本書は、金子さんがたどった「じぶん再発見旅」の記録です。旅先での新たな食や人との出会い、思いがけないトラブルを通した心情が丁寧に綴られ、タイに興味がなくても、読み進めるうちに心のモヤモヤが晴れ元気が湧いてきます。タイのお国柄や乗りもの事情など旅の基本情報や地図なども紹介し、ガイドブック的な一面も。シンプルライフの達人ならではの「荷物を軽くするコツ」や、過去の失敗から得た「セキュリティ対策」も収録しています。
<著者/金子由紀子>
金子由紀子(かねこ・ゆきこ)
エッセイスト。総合情報サイトAll About「シンプルライフ」初代ガイド。 1965年生まれ。出版社勤務を経てフリーランスとなり、幅広い分野で執筆を行う。10年に及ぶひとり暮らし経験と、主婦としての実体験をもとに「シンプルで心地よい暮らし」を軸とした生活術を提案。2006年『お部屋も心もすっきりする 持たない暮らし』(アスペクト)を上梓し、“持たない”ブームの先駆け的存在に。精神性と継続性を重視した、リアルな暮らしの知恵が共感を呼んでいる。 著書に『50代からやりたいこと、やめたこと』(青春出版社)、『クローゼットの引き算』(河出書房新社) 、『お金に頼らずかしこく生きる 買わない習慣』(アスペクト)、『夜家事でかつてないほど朝がラクになる』(PHP研究所)などがある。