• 72歳、ひとり暮らしの料理家・足立洋子さん。53歳で夫が急逝、寂しさをいやしてふたたび前を向けるようになった50代、料理家としての活躍の場を広げた60代を経て、70代に突入。老いの不安や悩みを抱えながらも好奇心いっぱいに、ひとり暮らしを前向きに楽しんでいます。そんな足立さんの等身大の暮らしを綴った『さあ、なに食べよう? 70代の台所』(扶桑社)より、夫の急逝後、前を向くきっかけとなった出来事について抜粋してお届けします。

    ひとりになったから、できたことがありました

    画像1: ひとりになったから、できたことがありました

    夫が亡くなってしばらくは、やはり途方もない悲しさと寂しさの真っただ中に佇んでいました。

    でも、二か月後、どうしても「友の会」の仕事で東京に行かなくてはならない。周りからは、「行く必要はないよ」、「休みなさい」とさんざん言われたのですが、初めてのひとり暮らしをスタートさせたばかりの息子の手伝いもあって、赴くことに決めました。

    そこで、1990年から2004年まで、わたしの母校である自由学園の学園長を務めていた故・羽仁翹(ぎょう)先生の奥様が、声をかけてくださったのです。

    「よく頑張っていらしたわね。でも、らくでしょう?」と。

    羽仁さんは、前年に翹先生を亡くしていましたから、お会いしたときには一年が経過していたんですね。

    わたしは夫を亡くしてまだ二か月で、「らく」という感覚には及んでいない。けれど、羽仁さんは時を経てその境地まで辿り着いたんだなと、ぼんやり思いました。

    仲の良い後輩は、当時、「今にね、パパ、あのとき生きてくれなくてありがとうって思うときが来るから」と言いました。

    「ご主人が看病が必要な状態になっていたら、息子さんの手伝いぐらいなんかで東京に行くとか言っていられないのよ。ご主人に付き添っていないといけないんだから。わたしはもう、今までパパありがとうっていう心境だよ」って。

    彼女は、わたしの夫が亡くなる七年前に、一年間の大変な看病生活を経てご主人を見送っていました。

    翌月、また東京に行く用事ができました。準備する最中、ふと思ったのです。

    「あ、何もつくっていかなくていいんだ」

    夫は手のかからないひとで、昔からわたしが家を空けるときも、「何もしていかなくていいよ」と言っていました。

    それでも、誰かを家に残して出るとなると、わたしはやっぱり気になりますから、おでんをつくったり、シチューをつくったり。煮込むとおいしい何かしらの食事を必ずつくってから出かけていました。

    それが今回は必要ない。自分の身ひとつ、都合ひとつで身軽に動ける事実に、「ああ、わたしでもやっぱりパパに気を遣っていたんだなぁ」と、結婚して以来、初めて気づいたのです。

    画像2: ひとりになったから、できたことがありました

    それから約一年後の三月、わたしの父の七回忌のときに、今度は母が「らくでしょう?」って言うのです。

    しまいには「この六年間はお父様からのプレゼントみたいな時間だったわ」とも……。

    羽仁さんの言葉も、後輩の言葉も、母の言葉も、そのときはよくわかりませんでした。でも、時間が経過することでそんな心境になるのだなと漠然と思いながら、夫を先に送った同志のような方たちがわざわざわたしに伝えてくれたことを、とてもありがたく思ったことを覚えています。

    自由と身軽さは、夫からのプレゼント

    六十歳のときに出演したNHKの朝の情報番組『あさイチ』は、わたしにとっての大きな転機となりました。このときに夫が生きていたら、あんなにもスムーズにはいかなかっただろうと、今になっても思います。

    娘も「ママ、パパがいたら、いくらパパが何も言わないひととはいっても、あのとき収録へは行けなかっただろうね」とよく言っています。確かにそうだと思います。何せ急遽決まったお話で、すぐに東京へ飛んでいかねばならない状況。

    そのときに「大丈夫よ、全部そちらに合わせられますから!」と迷いなく答えられ、なんの気がかりも誰への遠慮もなく、最後まで情熱ひとつでただひたすらに突き進むことができたのは、ひとりの身軽さがあったことも大きいでしょう。

    そうして、いつからか、なんとなく「“今のわたしだからできること”をしよう」という思いを携えながら、歩み続けてきたように思います。

    そんな思い出の『あさイチ』出演からもうひと回り、十二年が経ちました。

    「友の会」の仕事も、出かける予定も、お友達を家に招くことも、本や雑誌の撮影も、全部自分の都合だけで決められる今の自由と身軽さは、夫が与えてくれたプレゼントなのかもしれません。

    今やっと、そう思えます。

    本記事は『さあ、なに食べよう? 70代の台所』(扶桑社)からの抜粋です

    * * *

    『さあ、なに食べよう? 70代の台所』(扶桑社)

    『さあ、なに食べよう? 70代の台所』(扶桑社)|足立洋子 (著)

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    人生の新しいステージで、前を向くためのヒント集
    53歳で夫が急逝、子どもが独立してひとり暮らしになった料理家の足立洋子さん。喪失と向き合いながら、寂しさを癒やし、ふたたび前を向けるようになった50代。料理のスーパー主婦として出演した『あさイチ』(NHK)で大ブレイク、活躍の場が一気に広がった60代。そして72歳の今、気力ががくんと衰える「70代の壁」に直面。自分の気持ちを引き上げるのは自分しかいない! と奮起する足立さんの日々の食事や家事には、ごきげんをつくり出すヒントが満載です。料理をするのがおっくうな日も手軽に作れる簡単レシピや、日常の中に新たな楽しみを見つける心がまえ、家族や周囲の人との付き合い方……等身大の魅力にあふれたライフスタイルを一冊に。



    〈撮影/山田耕司(扶桑社)文/遊馬里江〉

    画像: 自由と身軽さは、夫からのプレゼント

    足立洋子(あだち・ひろこ)
    料理家。1951年生まれ、北海道函館出身。自由学園最高学部卒業。雑誌『婦人之友』の読者が集う、「全国友の会」で、料理講師を四十年以上務め、2011年にはNHKの情報番組『あさイチ』で料理のスーパー主婦として出演。自身がモットーとしている“かんたんおいしい”料理を多数紹介し、大好評を博す。以降、講習会のみならず、書籍や雑誌、テレビやWebなどのさまざまな媒体で、料理が苦手な人の食卓を助ける手軽でおいしい料理を伝え続けている。
    インスタグラム:@hirokoa1208



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