• 自分よりも、相手のことを。青山学院大学陸上競技部町田寮・寮母の原 美穂さんが見つけたのは自分らしさを生かしながら支える幸せでした。今回は、戸惑いだらけのなか寮母になった美穂さんの自分らしい生き方ついて伺います。
    (『天然生活』2024年2月号掲載)

    安定した暮らしから、未知の暮らしへ

    「私はスポーツ全般にまったく興味がなく、10代〜20代の男の子たちと関わるのも、経験のないことでした」と振り返る青山学院大学陸上競技部町田寮・寮母の原 美穂さん。

    戸惑いだらけの毎日のなかで「学生たちだって、親元を離れて寮に暮らし、寮母という存在と接するのは、人生ではじめて。大人の私から緊張を解かなくては」と気づいたといいます。

    あいさつをしても返事のない学生もいましたが、「無視ではなく、恥ずかしいのかも」「そんな気分じゃないのかも」など、相手なりの理由があるのだと受け取るように。

    1日1回は全員に話しかけながら、コミュニケーションを深めました。ときに学生の思いの聞き役になったり、監督と学生の間を取り持ったりしながら、いつしか美穂さんのなかにも「学生たちに箱根を走らせたい!」という“自分の願い”が心の底からわいてきたそうです。

    山あり谷ありの日々を乗り越えて、青山学院大学が33年ぶりに箱根駅伝に出場できたのは、寮母になって5年目のこと。

    美穂さんは、学生や監督の歓喜する姿にうれし涙を流しながら、ここに至るまでの土台をつくってくれた卒業生のことを思い出し、さらに涙を流したといいます。

    以降、毎年出場を続けた青山学院大学は、11年目には総合優勝を果たし、4連覇の快挙を成し遂げるほどのチームに成長しました。

    私を支える

    相手の居心地を考えていたら、自分の居心地もよくなっていた

    画像: 相手の居心地を考えていたら、自分の居心地もよくなっていた

    学生たちが居心地よく暮らせるようにと、目の前にある「自分にできること」に向き合っていたら、いつの間にか自分の居心地もよくなっていた。

    みんなでつなぐ駅伝のタスキには、監督の名前の下に小さく美穂さんの名前も。

    外にもうひとつの居場所を持つ

    画像: 外にもうひとつの居場所を持つ

    「ジムなら空いた時間に行けるし、お風呂も入れて気分転換に。ジム仲間もできて、寮母の自分とは違う時間が過ごせています」と美穂さん。

    通うのに使っている自転車は、学生たちからのプレゼント。

    自分がつらくなることはしない

    画像: 自分がつらくなることはしない

    「私、友達に誘われても出かけられないんだよね」と学生に話したら、「夕飯のときに奥さんがいなくても困りませんよ」といわれ、「それでいいんだ!」と気持ちが切り替わった。

    以来、無理はしないことに。



    <撮影/山田耕司 構成・文/石川理恵>

    原 美穂(はら・みほ)
    1967年、広島県生まれ。夫である原晋さんの青山学院大学陸上競技部の監督就任にともない、同校町田寮の寮母に。裏方として、箱根駅伝でのチームの活躍を支えている。著書に、激動の日々を綴った『フツーの主婦が、弱かった青山学院大学陸上競技部の寮母になって箱根駅伝で常連校になるまでを支えた39の言葉』(アスコム)がある。

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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