(『天然生活』2024年2月号掲載)
人にはそれぞれ、向き不向きがあるから
「勝てるときも、勝てないときも、学生たちが自分に悔いなく、全力を出し切れるように、寮生活をサポートしています」と話すのは、青山学院大学陸上競技部町田寮・寮母の原 美穂さん。
「食事は専門の会社にお願いしているし、配膳や片づけ、掃除、洗濯は学生たちです。私の担当することといえば、お米をとぐのと、お茶づくり、日用品の買い出しぐらい。その他はとくに決まってないのですが、病人が出たからどの部屋に隔離しようとか、トイレが壊れたとか、荷物がたくさん届いたとか、その日の出来事に対応しているうちに、なぜか忙しく終わっていくんですよね」
美穂さんの仕事は、調整やフォローといった、人に合わせることや、自分では時間のコントロールができないことばかりだから忙しくても当然です。なかでも大切にしているのは、1年生が担当している配膳の見守り。
「新入生たちが配膳を覚えていく様子を見ていると、それぞれの個性がわかります。最初の1年間は、配膳に立ち会いながら信頼関係をつくることが、私の仕事の肝です」
ほめられたい子、自主的にコツコツとやる子、かまわれたくない子──。ひとりひとりの性格やタイプを理解しておけば、スランプやケガの故障があったときにも、どんな声かけや対応をしたらいいのかが、つかみやすいのだとか。
「もともと私は、人に何かしてもらうより、自分が何かしてあげて、相手に喜んでもらうほうが、うれしいんです。それはもう、私の性格ですね」
グイグイと物事を進めるのが得意な人がいるように、支えるほうが向いている人もいる。
夫に巻き込まれて始まった寮母生活だったけれど、ひとりでは経験できない大きな喜びも、日々のささやかな喜びも味わえるこの暮らしは、美穂さんだからこそ見つけられた幸せであふれています。
幸せへの道のり
10代
両親の仕事の都合で、小中高と転校を繰り返す。
その間、広島、千葉、北海道、埼玉などに暮らした。
小学校の先生を夢見るも、家の引っ越しで行きたい大学を断念。
20代
大学卒業後、証券会社に就職。
その後は派遣社員に。
当時、中国電力に勤務していた原 晋さんと出会う。
1995年、28歳で結婚。
30代
広島にマイホームを建てる。
2004年、晋さんが3年契約で、青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督就任。
ともに上京し、町田寮の初代寮母になる。
40代
晋さんが再契約し、任期延長。
2009年、33年ぶりの箱根駅伝出場。
2015年、初の総合優勝を果たす。
2017年に大学3大駅伝3冠、翌年箱根駅伝4連覇達成。
50代
2023年、寮母20年目を迎える。
<撮影/山田耕司 構成・文/石川理恵>
原 美穂(はら・みほ)
1967年、広島県生まれ。夫である原晋さんの青山学院大学陸上競技部の監督就任にともない、同校町田寮の寮母に。裏方として、箱根駅伝でのチームの活躍を支えている。著書に、激動の日々を綴った『フツーの主婦が、弱かった青山学院大学陸上競技部の寮母になって箱根駅伝で常連校になるまでを支えた39の言葉』(アスコム)がある。
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです