• 料理家のきじまりゅうたさんに、きじま家3代に伝わる初夏の味「いわしの梅煮」のつくり方を教えていただきました。祖母の故・村上昭子さん、母の杵島直美さん、息子のきじまりゅうたさん。3代続く料理研究家の家に生まれたきじまさんの周りには、幼いころから旬の料理があふれていました。貴重な昔話も伺います。
    (『天然生活』2020年6月号掲載)

    きじまりゅうたさんが語る、3代のエピソード。
    いまも懐かしい。祖母の味、母の味

    祖母はもともと、目白の呉服屋の娘で、従業員さんの食事づくりを手伝ううちに料理好きになったと聞きました。結婚後、母が中学生のころに、縁あって料理の仕事をするようになったそうです。母は文章を書くのが好きで、学生時代にはアルバイトでレシピを代筆していたのだとか。だから、OLを辞めて本格的に手伝うようになる前に、祖母の料理を文字で理解していたそうです。

    僕が小さいころは、祖母も母も仕事が忙しく、平日は朝から晩まで撮影。撮影用の料理は、数カ月早めに仕込みますから、旬がずれるんです。でも祖母は趣味も料理でしたから、漬物や保存食を年じゅうつくっていて、季節感を大切にしていましたね。

    画像: 幼いころから祖母・村上昭子さんのお手伝いをしていたきじまさん。黄色い柄のこども包丁は、いまも宝物

    幼いころから祖母・村上昭子さんのお手伝いをしていたきじまさん。黄色い柄のこども包丁は、いまも宝物

    夏の保存食づくりは、5月末の山菜摘みに始まり、らっきょう、青梅のシロップや梅酒、6月に入ると梅干しと、とにかく大忙し。人にあげるのが大好きで、梅干しも、全盛期には100kg漬けていました。

    夏といえば、とうがん煮、小あじの南蛮漬け、いわしの梅煮、きゅうりの塩もみ、新しょうがの甘酢漬け、あさりの味噌汁などを思い出します。お昼は毎日そう麺。薬味に使う青じそやみょうがを庭に摘みに行くのは、幼い僕の仕事でした。庭には、山椒の木、ゆず、金柑、葉蘭などもありました。

    人が来ると、おいなりさんやあじの散らし寿司。1週間の撮影で余った食材を入れるカレーも週末の定番でした。豚肉と牛肉と鶏肉が入っていたりしてごちそうなの。でも、昔ながらのカレーです。

    画像: 呉服屋の娘だった祖母(中)と、母の杵島直美さん(右)。とくに祖母は着道楽だった。おばあちゃんに抱っこされた幼いきじまさん(左)

    呉服屋の娘だった祖母(中)と、母の杵島直美さん(右)。とくに祖母は着道楽だった。おばあちゃんに抱っこされた幼いきじまさん(左)

    自分の好きな味を、工夫して楽しむことの大切さ

    祖母も母も、子ども用にわざわざ料理をつくることはありませんでした。カレーが辛ければ生卵を落とす。祖母の煮物だけでは足りないといえば、1000円札を渡され、「好きな肉買ってきなさい」って。子どものころから商店街の人たちにかわいがられていたこともあって、ひとりで買いに行き、それでもう一品、肉炒めをつくるんです。

    最近、僕のいなり寿司のつくり方が、祖母と同じ方法に戻りました。祖母はお揚げをゆでこぼして、さらに流水でゴシゴシ洗っていたのですが、最近はサッと洗うだけで。でも、味のしみ方が違うことに気づいて、またゴシゴシ洗うようになりました。同じ料理も、年代や好みで変化してゆく。そんなふうに受け継いでいるのがリアルで、ウチらしいと思っています。

    画像: いまも、きじま家の北側の部屋には、年代物の梅干し、梅シロップ、梅酒など、お宝がズラリ。祖母が漬けたものも残っている

    いまも、きじま家の北側の部屋には、年代物の梅干し、梅シロップ、梅酒など、お宝がズラリ。祖母が漬けたものも残っている



    〈料理/きじまりゅうた 撮影/公文美和 スタイリング/久保原恵理 取材・文/吉田佳代〉

    きじま・りゅうた
    3代続く家庭料理研究家の家庭に育つ。基本を踏まえたつくりやすい料理、温かな人柄にファンが多い。雑誌やテレビ、ラジオなどのほかYouTuberとしても活躍。公式YouTubeチャンネル『きじまごはん』では、いつもの料理が楽しくなる動画や、ちょっとしたコツをていねいに紹介している。

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



    This article is a sponsored article by
    ''.