• エッセイストで空間デザイン・ディレクターの広瀬裕子さん。書籍『60歳からあたらしい私』の続編として、そこから続く60代の暮らし方を、60歳になった広瀬さんが見つめます。50代の時と比べ、60代は新たな変化があります。できなくなっていくこと、見送ることも増えますが、反して、気づくこと、自分らしく過ごせるようになる時間できれば、年齢は、やさしくわたしに微笑んでくれるでしょう。「60代の衣食住健」。おつき合いいただけたらうれしいです。実家仕舞いは3年かかりました。

    実家の解体前、何度も家に通う

    「10日後に建物を解体します」。連絡が届いてからの数日、わたしは、実家に何度か足を運びました。今後はスケジュールに従い建物が解体されていきます。実際、家の前に立つと、何週間後かにこの建物がなくなってしまうことが、わたしには想像できませんでした。家だけではなく、庭の植物も、訪れる鳥たちの声も、なくなってしまうのです。空き家になり5年。父が亡くなり3年。こどものころから今に至る時間を何度も思い返しました。

    実家じまいをすると決めてから生じた迷い

    実家仕舞いをする流れは、わたしの中では自然なことでした。50年近く前に建った広い一軒家をシングルでこどものいないわたしが維持するのは難しいのは目に見えています。住むためには数々のメンテナンスや耐震工事が必要になります。古い住宅地のため大きな車の出入りが困難な地域です。かつて多くの店があった商店街は、道路拡張のためほとんどなくなりました。それらの条件を考えると、60代になったわたしが実家仕舞いをするのは迷いのない選択でした。

    そう。迷いのない選択だったはずなのです。それが思っていたより時間がかかったことで、何度も気持ちがゆれることになったのは自分でも想定外のことでした。時間が長引けば長引くほど決断したことに対し「迷い」が生じるのはよくあることです。本当に手放していいのか。不便なことはわかっているけれどここで暮らすのがいいのではないのか。そんな思いが何度も浮かんできました。

    これは、親しい人が亡くなった時と近いかもしれません。母が亡くなった時も、父を見送った後も「もっとできることがあったのではないか」と考えてしまう「あの感じ」です。別の選択や、もう少しやれることがあったのではないかという思いや、やさしくすればよかった、という数々のこと。

    画像: 実家じまいをすると決めてから生じた迷い

    家族を見送ったときの気持ちを思い出す

    実家仕舞いは、家を見送ることなのかもしれません。「仕舞う」「片づけ」「解体」という言葉を使うことがほとんどですが「見送る」。思いはあっても、正解はわからなくても、時がきたら見送る。人生にはそういう場面が何度か訪れますが「実家をどうするか」も同じなのかもしれません。

    不動産取引に関しては、度々、不信感を抱くことがありました。そうならないように気をつけていたのですが、こちらの思いなど関係なく物事は進んでいきます。契約など、あとから見直すと「なぜ?」と思うこともありました。でも「こういうものです」と言われてしまうと納得していなくても進めなければなりません。また、1度、YESと言ってしまうと、それを覆すには、倍以上のエネルギーを使うこともわかりました。関わる人が多ければ多くなるほど、それぞれの思惑も増えてきます。

    結局「いいのだろうか」という気持ちは最後まで消えませんでした。それでも解体ははじまり、足場が組まれ、ブロック塀が壊され、庭の植物はあっという間になくなりました。3年近くかかった実家仕舞いは、10日間の解体で幕を閉じました。

    解体が終わって

    更地になった土地は、思ったより広い印象でした。

    土地のまん中にぽつんとボールが落ちています。隣地が学校のグランドなので、時折、ボールが飛んでくるのです。きっと、茂った庭木に紛れていたのでしょうね。そのボールを見ていたら様々な場面を思い出しました。この場所でわたしは生まれた時から暮らしていたのです。たのしいことも、悲しいこともありました。成長するに連れ両親とわかり合えない部分もありました。それでも、最後まで父はわたしの父であり、母はわたしの母で、わたしはふたりのこどもでした。

    画像1: 解体が終わって

    さて──。もう、後戻りはできません。よかったかどうかは考えても仕方がないことです。わたしは、わたしのフォームで、わたしの時間をこれから生きていきます。

    実家仕舞いにかかった費用

    ・室内の物の片づけ 50万円

    ・お仏壇の供養・引き取り 10万円

    ・建物の解体費用 220万円(区の助成金を使用)


    画像2: 解体が終わって

    広瀬裕子(ひろせ・ゆうこ)
    エッセイスト、設計事務所共同代表、空間デザイン・ディレクター。東京、葉山、鎌倉、瀬戸内を経て、2023年から再び東京在住。現在は、執筆のほか、ホテルや店舗、住宅などの空間設計のディレクションにも携わる。近著に『50歳からはじまる、新しい暮らし』『55歳、大人のまんなか』(PHP研究所)、最新刊は『60歳からあたらしい私』(扶桑社)。インスタグラム:@yukohirose19



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