• つくる、食べる、片づけるを淡々と繰り返す「台所」という空間。料理の前後にある見えない労働を億劫に感じることもある一方、音や匂い、味つけから誰かを思い出し、大事にされた記憶を呼び覚ます温かい場所でもあります。歳を重ねながら、食や台所について自分に合ったやり方を見つけてきた文筆家大平一枝さん。今回は、台所取材を通して気づいた「自分に合った台所収納」のお話。

    「自分流に徹した人」が台所収納を制する

    “収納偏差値”という言葉があったら私はひどく低い。便利な収納家具やグッズを買っていったんは片付いても、決まって一〇日目くらいから元の木阿弥になる。

    台所用品は、洋服や化粧品と違って、形や大きさもさまざまだ。使用頻度の差も激しく、よくよく考えないとビシッと片付かない。

    たとえば重箱やかさばる製菓材料は、吊り戸棚やパントリーの奥にしまうのが一般的だが、その“一般”は個々の台所仕事の癖や習慣に即しているとは限らない。すぐ手の届くところに置いたほうがいいという人もいる。

    私にとっての「ベスト」がなんなのか、長い間迷子だった。 

    台所取材では、とくに微に入り細に入り収納法を観察する。収納偏差値の高い人の工夫はどれだけ見ていても飽きない。

    最も大きな気づきは、「自分流に徹した人が収納を制する」だ。

    玄関に根菜や非常用の水、土鍋、缶詰などのストックを置いている人は意外と多い。

    よく考えるととても理にかなっている。玄関は北側や日当たりの悪いところに位置することが多く、冷暗所となる。そのため根菜や乾物のストックに向いている。

    収納を探究すると、いかに自分の思考が凝り固まっていたかに気づかされる。

    画像: 旧居で愛用していた棚を移設。洗面所で使っていたタオルバーを下に取り付けて台拭き掛けに

    旧居で愛用していた棚を移設。洗面所で使っていたタオルバーを下に取り付けて台拭き掛けに

    片付いている台所は「ラベリング」が完璧

    もうひとつ、大きな影響を受け、ただちに我が家でも取り入れたのが、ラベリングである。これは、私の収納偏差値を確実に上げてくれた。

    収納グッズを使いこなしたり、百円ショップのケースなどを駆使して工夫したりすること以上に大事なのは、どこになにがあるか、モノの住所を把握すること。そして、住所は、モノの種類ではなく、行動の動線で分けるとうまくいくと、収納上級者たちから学んだ。

    冷蔵庫内を例にとる。

    青海苔や味海苔や焼き海苔は、「海苔チーム」に分けがちだ。でも我が家で、青海苔はお好み焼きで使うことが九割。ならば、お好み焼きチームを作り、そちらに入れたほうが便利だ。透明ケースのラベルには「お好み焼きセット」と書く。オタフクソース、天かす、カツオの粉もこちらへ。

    「海苔」「ジャム&バター」「チーズ」というモノの種類だけではなく、行動のグルーピングもあると、家事の手順を省略できる。

    この際の肝はラベリングで、どんなに優れた行動分けをしても、家族全員が把握していないと意味がない。「あれどこ」「これどこ」と聞かれた挙げ句に、片付けかたも間違えられていたら、手間が増えるだけだ。

    モノが多いのに片付いている台所は皆、ラベリングが完璧だった。

    * * *

    人さまの台所を訪ね歩いて実感した。長い間、家事全般について人よりできていないという劣等感が強かったが、几帳面でないから無理、と決めつけていたことは、案外、見かたを変えたらもっと早くに解消できていたかもしれない。

    そうしたら、もう少し自分を好きになれていたのかも。

    偏差値などという言葉を使ってしまうくらいに、自己評価が低いまま生きてきたけれど、暮らしにはまだまだ考えかたひとつで軽やかになれるティップスが隠れているよと、「リンゴ酢」や「寿司酢」と書かれたラベルが私にささやく。

    〈写真/本多康司〉

    ※本記事は『台所が教えてくれたこと ようやくわかった料理のいろは』(平凡社)からの抜粋です。

    『台所が教えてくれたこと ようやくわかった料理のいろは』(大平一枝・著/平凡社・刊)

    画像: 片づいている「台所」に共通する収納ルールとラベリングの工夫。自分に合ったスタイルで“収納迷子”からの卒業/文筆家・大平一枝さん

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    ◆「台所」という空間で探しつづける、自分に合った暮らしと料理のいろは◆

    独身時代は暮らしのことにまったく無頓着で、年に二、三度しか味噌汁をつくらなかったという大平一枝さん。

    結婚してからは、ふたりの子どものために必要に迫られて料理をし、子どもが巣立ってからは、時には小さな不満を持ちながらも、夫と負担を分け合って暮らす日々。

    「台所という生活の楽屋で、自分に合ったやり方で疲れないものだけを、のんびり探しつづければいい」と話します。

    本書は、十余年にわたり“台所”を取材して歩いてきた大平さんが、初めて自身の台所とくらしをありのままに綴ったエッセイ集。

    人生とともに変化する食や価値観について、見つめたくなる1冊です。

    【もくじ】
    ● 第1章 ようやく料理のいろはが見えてきた
    ・作り置きクロニクル
    ・収納迷子からの卒業 など
    ● 第2章 大人のテーブル、忘れられない味
    ・カレーの階段
    ・あきらめて楽になったこと など
    ● 第3章 台所はいつも忙しい
    ・とんちんかんな家事
    ・長生きを願う台所の神 など
    ● 第4章 忘れられない台所
    ・手触りは消えても
    ・八六歳の外国製食洗機 など
    ● 第5章 台所は生きている
    ・長寿の両親と発酵食
    ・台所は生き物のように など


    大平一枝(おおだいら・かずえ)
    1964年、長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年に独立。市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラムおよびエッセイを執筆。2013年から続く連載「東京の台所」(朝日新聞デジタルマガジン『&w』)が大きな反響を呼び、書籍や漫画に展開されている。著書に『ジャンク・スタイル』『男と女の台所』『ただしい暮らし、なんてなかった。』(以上、平凡社)、『ふたたび歩き出すとき 東京の台所』(毎日新聞出版)、『注文に時間がかかるカフェ——たとえば「あ行」が苦手な君に』(ポプラ社)、『そこに定食屋があるかぎり』(扶桑社)など多数。本書は自身の台所について著す初めての書籍となる。
    *連載「東京の台所」はこちら:東京の台所2



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