• 自然豊かな京都・大原で、築100年の古民家に暮らし、手づくりのある生活を楽しんでいたベニシアさん。そんなベニシアさんがこよなく愛したのがハーブとスパイス。畑や庭でさまざまな種類のハーブとスパイスを育て、日々の料理に取り入れていたそう。ベニシアさんとの楽しかった日々や料理の思い出がいつでも思い浮かぶと、夫のさん。今回は、大切な思い出の中から「出会っていなかったら、今の僕はいなかったかも」と話す「ハーブティー」の思い出を紹介します。

    ハーブガーデン作りに夢中のベニシア

    1996年に僕たち家族は、京都市街地の借家から緑に囲まれた山里大原の古民家に引っ越した。家の片付けが落ち着くと、ベニシアはハーブガーデン作りを始めた。幼い頃から小さなコテージでの暮らしに憧れていた彼女にとって、その夢がかなったのであった。

    翌年の春になると、庭のあちこちは元気なハーブの苗で賑わっていた。どれがハーブでどれが花の苗なのか、あるいは雑草であるのか、一緒に庭仕事をしていない僕は判断できずに混乱した。ベニシアは、遊びに来た友人や英会話教室の生徒さんたちに、庭で摘んだばかりのフレッシュ・ハーブでハーブティーをふるまっていた。

    画像: 柚子の実を収穫するベニシア

    柚子の実を収穫するベニシア

    あるときはレモンバーム、レモングラス、レモンバーベナ、レモンミントなどレモンの香りのハーブばかりをブレンドしたレモン・ハーブティーを作っていた。別の日は小さなヒナギクのような黄色の花心と白い花びらを集めた、リラックスできるカモミールティー。

    梅雨になると、たくさんの薬用効果があるので十薬とも呼ばれるドクダミの白い花が庭のあちこちに勝手に咲いていた。スペアミントの爽やかな香りが、クセのあるドクダミの味と香りを和らげるので、ベニシアはブレンドして飲んでいた。

    思い返せばその頃は、ハーブが日本中の女性の間で流行っていた。

    そんな時に僕にアクシデントが

    庭仕事はベニシアから頼まれた力仕事と、刈り払い機で土手の草刈りぐらいしか僕はやってなかった。時間があれば、好きな登山ばかりの日々であった。

    そんな2007年の11月に、僕の頭は壊れた。小豆島でロッククライミング中に、頭から地面に落下した。頭蓋骨折(右前頭骨線状骨折、左錐体骨骨折)、急性硬膜外血腫、両側前頭葉脳挫傷、外傷性クモ膜下出血と、難しい漢字が並ぶ病名のオンパレード。

    要するに、頭が割れて内出血したことにより脳が今までのように働かなくなり、高次脳機能障害になったのである。僕は47歳だった。

    ▼ベニシアさんの愛した思い出のレシピはこちら

    〈写真・文/梶山 正〉

    ※本記事は『ベニシアの愛したハーブ&スパイス料理』(山と渓谷社)からの抜粋です。

    『ベニシアの愛したハーブ&スパイス料理』(梶山 正・著/山と渓谷社・刊)

    画像: ベニシアさんの愛した「ハーブティー」と夫・正さんを支えた“柚子ティー”の思い出。もし出会っていなかったら、今の僕はいなかったかも/梶山正さん(写真家・料理人)

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    ◆ベニシアさんがこよなく愛した「ハーブとスパイス」の思い出とレシピ◆

    ともに過ごして楽しかった日々、一緒に食べた料理……ベニシアさんが天国へ旅立ったあとも、思い出がいつでも頭に思い浮かぶという夫の正さん。

    ベニシアさんが夢中でつくったハーブガーデンや残してくれたレシピを通じて、いつもそばにいてくれるような温かさを感じると話します。

    本書は、ベニシアさんを一番近くで見守ってきた正さんが「食」を通して語る、ハーブやスパイスを使ったふたりの思い出の料理とレシピを綴った1冊。

    花やハーブを愛し、手づくりを楽しんだベニシアさんの生き方に、心がじんわりと温かくなります。

    【目次】
    ハーブをこよなく愛した、在りし日のベニシア

    ようこそ、ベニシアが愛した数々のハーブやスパイス料理の世界へ
    ロースト・ラム/コーニッシュ・パスティ/コールド・ポークパイ/ラザニア/カツオのたたきのカルパッチョ/トマト・ソース/フムス など

    ベニシアが愛したハーブ&スパイス
    ・ハーブ
    ローズマリー/パセリ/ディル/コモンセージ/バジル/みょうが/オレガノ/パクチー/青ジソ/セロリ/ネギ/柚子/ドクダミ など

    ・スパイス
    グリーンカルダモン/クローブ/シナモン/イエローマスタード/ブラックペパー/パプリカ/クミン/ターメリック/コリアンダー など


    梶山 正(かじやま・ただし)
    写真家。料理人。1959年、長崎に生まれる。大学芸術学部に入るが、ほぼ行かずに除籍。その後、京都調理師専門学校卒業後、2年間、料理屋勤務。1984年、24歳の時に自分を変えたいと思い、インドを8ヶ月間、彷徨い、帰国。暮らしていた京都郊外の学生アパートを改造して、インドカレー屋DiDiを始めた。ベニシアはDiDiの客。若い頃に滞在したインドが懐かしかったのだろう。1988年からDiDiを京都大学近くに移店し、約30年間経営した。1992年にベニシアと結婚して以降は、写真と執筆関係の仕事を専業とする。著書に『ベニシアの「おいしい」が聴きたくて』(山と溪谷社)、『ベニシアと正、人生の秋に』(風土社)、『ポケット図鑑日本アルプスの高山植物』(家の光教会)など。

    梶山 ベニシア(ベニシア・スタンリー・スミス Venetia Stanley-Smith)
    ハーブ研究家。1950年イギリスのロンドンに生まれる。裕福な貴族家庭で育つが、思春期の頃には様々な疑問を抱いて、19歳の時に自己探求のためインドへ旅立つ。聖地ハリドワールのアシュラムで約5ヶ月間、瞑想の日々を送ったあと、1971年にほぼ無銭で日本を目指した破天荒な若者だった。1974年に日本人と結婚して3児を育てる。1978年に京都で英会話スクールを始める。1992年梶山と再婚して末っ子の悠仁が生まれる。1996年に大原の古民家へ引っ越して、そこにハーブ園を作った。2007年に出版した『ベニシアのハーブ便り』(世界文化社)が注目され、NHKドキュメンタリー番組『猫のしっぽカエルの手』が始まる。番組は続いたが、ベニシアはPCAという病気と闘い、2023年6月に死去した。



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