• 蓼科ハーバルノート・シンプルズを主宰し、日々ショップという場に立つ萩尾エリ子さん。ハーバリストとしての活動のみならず、日々を綴った文章もまた、多くの方に支持されています。薬草とともに、言葉を杖として歩まれてきたという萩尾さんのこれまでを振り返りながら、人生を豊かにする「言葉との上手なつきあい方」についてお聞きしました。
    ※本記事は、ライター・玉木美企子さんの第一エッセイ/俳句集『蝸牛の虫干し』刊行記念お話し会(2026年2月、still room.MEにて開催)の内容を基に構成しています。

    言葉に導かれ広告の世界へ、そして蓼科へ

    画像1: 言葉に導かれ広告の世界へ、そして蓼科へ

    ――萩尾さんはハーブと出合う前から、言葉と戯れる“本の虫”だったとか。

    萩尾エリ子さん(以下、萩尾) 子どものころ、少し体が弱かったから、体を動かすよりも本を読む時間のほうが多かったんです。しかも、当時暮らしていた東京・三軒茶屋には古本屋さんがたくさんあって、ひもでくくって買って帰れるくらい、安価によい本がたくさん手に入る、そんな環境でした。いまはもうなくなってしまった文化だけれど、本を貸してくれる貸本屋さんもあったのよ。

    けれど、なぜあんなに本を読みたかったのかはわかりません。きっと、自由に冒険がしたかったんでしょうね。いまならインターネットとか、ほかの方法はいくらでもあるのかもしれないけれど、私は言葉のなかでずっと、冒険をしていたんだと思います。

    画像2: 言葉に導かれ広告の世界へ、そして蓼科へ

    ――蓼科に来る前には、コピーライターをされていた時期もあったとお聞きして、驚きと同時に納得しました。

    萩尾 コピーライターなんて呼べない、たまごもたまごの状態で離れてしまったんですよ。仕事をしながら「久保田宣伝研究所(※)」へ通っていたら偶然、コピーライターの神様と言われた「西尾忠久」という人物と出会うことができました。そうしためぐり合わせで運よく、彼のアシスタントとして広告代理店で働かせてもらえることになったんです。

    ※ 日本初のコピーライター養成機関。現在の株式会社宣伝会議。

    ――蓼科へ移住されるきっかけは、その職場で目にしたコピーだったとか。

    萩尾 そう、たまたま隣のデスクの人が、蓼科の別荘地かなにかの広告を担当していたの。彼の机の上にあった「日本で一番晴天が多い場所」とかいう端書きを見て、「蓼科ってそういう場所なんだ」と、なんとなく記憶に残っていて。ずっと後になって夫と出かけてみたことが、すべてのはじまりです。そう思うと蓼科へも、言葉によって導かれたのね。



    〈取材・文/玉木美企子 写真/古厩志帆〉

    萩尾エリ子(はぎお・えりこ)
    ハーバリスト。ナード・アロマテラピー協会認定アロマ・トレーナー。日々ショップという場から植物の豊かさを伝えることを喜びとする。著書に、『風の飲みもの、光のおやつ』(扶桑社)など。

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    『風の飲みもの、光のおやつ 薬草店の幸せなテーブルから』(萩尾エリ子、永易理恵・著/扶桑社・刊)

    画像: 大切なときこそ“磨いて、手放す”ハーバリスト・萩尾エリ子さんの「言葉とのつきあい方」小さな花束のような文章で想いを伝えて

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