新しい家族を迎え入れたものの……
2018年10月4日、ロバのプラテーラが初めて子どもを産みました。産まれたばかりの子ロバは、毛が柔らかくふさふさして黒目がきらきら、ぬいぐるみのようでした。
名前は「ロッサ」。『プラテーロとわたし』の作者、ヒメネスが大好きだったバラ、秋バラがきれいな時季に産まれたのでそう名付けました。男の子です。
産まれたときの体重は、なんと12キロ。ロバは妊娠期間が人間より長く、12カ月もの間お腹の中にいます。
しっかり育った状態で産まれてくるのが正常ですが、こんな大きな子、プラテーラもさぞ大変だったことでしょう。プラテーラ、おつかれさま。
はじめての出産、子育て、誰に教わるでもなく、プラテーラはロッサの様子を常に見張り、授乳をし、寝ている隙に自分の食事をとります。
ロッサは、ただただ無邪気にプラテーラの後ろをトコトコと小走りについてまわります。私たち人間家族も、プラテーラが立派な母となって子育てをしている姿が微笑ましく、遠くから見守っていました。
産後3日目の午後、ロッサの様子がおかしい……。足元がふらふら、うつむき気味で元気がありません。心配になって、プラテーラとロッサをよく観察すると、プラテーラが授乳を拒み、ロッサはお乳が飲めていません。お腹をすかせて、体力が奪われてしまっていたのです。
プラテーラ……出産から今まで休む暇もなく疲れちゃったのかな、ロバにも育児放棄なんてあるのかな、家族みんなが心配してプラテーラになんとか授乳をしてもらおうとロッサを無理やり近づけます。
すると、おっぱいを飲もうとするロッサに対してプラテーラがすごい剣幕で「あっちに行け!」とロッサを突き放したのです。
「こりゃだめだ。お母さん、ドラッグストアで粉ミルクを買ってきて」。父はロッサの命が危ないと感じ、人工哺乳を試みることにしました。母と私は、急いで人間用の粉ミルクを買いに。まさか、ロバの子のために粉ミルクを買うなんて思ってもみませんでした。
「何十年ぶりかしら」と呟きながら、母は慣れた手つきでミルクをつくり、父に渡します。目を半分つぶった、元気のないロッサの口に哺乳瓶の乳首をあて、くわえさせようとしますがなかなかうまくいきません。
お玉にミルクを入れて飲ませる作戦に変えると、やっと1、2滴、舐めてくれました。一度舐めるとロッサはおっぱいと思ったのか、ごくごく飲みはじめました。プラテーラはその様子を見ても知らんぷり、自分のごはんに夢中です。
粉ミルクを飲んだロッサは、目がぱっちり開いてとことこ走りはじめました。たった数滴のミルクを飲むだけで息を吹き返す、この小さな小さな命。ロッサのことが、余計に愛おしくなります。
それから数日、プラテーラがロッサにお乳を飲ませるのは気がむいたときだけなので、足りない分は人工哺乳で補います。ロッサが産まれて1週間、とうとうプラテーラはほとんどロッサに授乳をしなくなりました。
雄ロバのダルボンが側にくるとそわそわし、子育てどころではなくなります。どうやらプラテーラは、発情期に入ったようなのです。
私たち人間の常識では呆れてしまう状況ですが、これが自然なのかもしれません。「もうプラテーラったら!」。そう言いながら家族みんな、人工哺乳でロッサを育てます。
父は、人間の子ども(私と兄)にミルクをあげたことがないそうです。しかし、ロッサにミルクをあげることが楽しみとなり、とても幸せそうです。
ロッサは、小さな鼻をひくひくさせながら哺乳瓶の乳首に食らいつき、そのうち我慢できなくなって耳がだらんとなり、飲みながら目をつぶって寝てしまいます。確かに、父にとってこれは至福のひとときです。
プラテーラの発情は10日程度でぴたりと止まり、また育児を思い出し授乳を再開しました。父はちょっぴり残念そうでしたが、正直、家族全員ほっとしました。
ロッサは常にプラテーラの後を歩き、排泄の場所を見て覚え、草を喰む真似をし、ひとつずつ学んでいきます。
雄ロバのダルボンはロッサにとてもやさしく、しつけをするというよりは遊び相手になっています。
子ロバが産まれたと聞きつけ、牧場に見にくる人も増えました。みんなロッサのかわいさに心を奪われてしまうようで抱っこしたり、くっついて写真を撮ったり……。
ロッサはプラテーラとダルボン、そして私たち家族やたくさんの人に愛され育っていきました。
田頭真理子(たがしら・まりこ)
広島県尾道市出身。高校卒業後、写真家立木義浩氏と出会い写真家を志す。客船「飛鳥」船上カメラマンを経て、2005年キヤノンギャラリーにて初の個展「mobile sense」開催。その後フリーランスフォトグラファーとして活動を開始。2012年より尾道の実家で家族がロバを飼い始め、ロバと家族の暮らしを撮り始める。現在は、尾道と東京を行き来する2拠点で活動中。
https://marikotagashira.com/