(『あさってより先は、見ない。』泣きそうになる より)
子どもが生まれてうれしかった、その感情の隣りに
ちょっとした昔話を聞いていただきましょう。
初めての子どもが生まれたときのはなしです。
産院で、生まれたばかりの赤ん坊を胸に抱いたとき、不思議な感覚に包まれました。うれしかったのですよ。そう、とてもうれしかった。
でも、その感情の隣りに、「ああ、これで、子どもを持たない人生を選べないことになった」という感慨がありました。
子どもを授かったことを感謝しつつ、この感慨を大事におぼえていようと決心したのです。同時に、子を持つことをあまり大げさにとらえずにゆこう、という柱が胸のなかにどんと立ちました。
忘れられない瞬間です。
子どものことだけで自分の人生をいっぱいにしない。
たのしんで子どもと暮らす(たのしんでいることを子どもに伝えつづける)。
ひとに助けてもらいながら子育てをする(母と子の関係一本だけにしない)。
子を持たないひとへの敬意を忘れない。
柱の内容はこんなことでしたが、それはそのとおりになりました。
三人の娘は、三人とも0歳のときから保育園に入れていただいて、たくさんの保育士、看護師の皆さんのお世話になったのです。
当時、出版社で記者、編集者として仕事をしていましたが、忙しくなると、ふたりの母、ふたりの父(子どもにとっての祖父母です)に預かってもらいましたし、友だちにも助けてもらいました。
わたしは、瞳の裏側にいつも涙をためている母親でした。
子どもの日々の様子、成長を見ては泣きそうになり、子どものまわりに起こるさまざまな事件に胸を痛めて泣きそうになり、あたりにあふれる親切や思いやりに接して泣きそうになり......、つまるところ、ひとというのはずいぶん、涙に近い場所で生きているのだということを知ってゆきました。
泣きそうになっても、ひと前では涙はこぼしませんでしたし、たいてい呑気に笑っていましたから、周囲からはけろりとした母親と思われていたかもしれません。
どう思われようとかまわないのですが、わたし自身は「いまにも泣きそうな自分」を指針として内に持って立っていたかったのです。
子どもの日々の様子、成長を見ては泣きそうになり、子どものまわりに起こるさまざまな事件に胸を痛めて泣きそうになり、あたりにあふれる親切や思いやりに接して泣きそうになり......、つまるところ、ひとというのはずいぶん、涙に近い場所で生きているのだということを知ってゆきました
「いまにも泣きそうになる自分」は、相手をわかろうとすることにつながってゆきます。
すべてわかるのは難しい、でもわかろうとすることはできる
子どもたちはとてもかわいかったし、一緒にいると、何もかもわかってやれるような気がしました。が、そんなはずはないのです。
それ、とても面倒な選択だと思うけれど、そちらを選ぶのね。
ひとりで、だいじょうぶ?
どうしても行くのね。
なんてことを、子どもに対して幾度思ったか知れません。思いはしましたけれど、云ったりはしません。自分の人生を自分で生き抜いてほしいと希っているし、ゆっくりとだんだん子どもたちとわたし、佳き「よそのひと」になる、というののが、目標でしたから。
泣くほどの気持ちで見守り、じたばたしたこともあります。泣きそうになりながら、「応援、応援」と自分に云い聞かせながらね。
子どもばかりじゃありません。
夫や、親しい友だち、尊敬するひとたちの存在にしたって、同じです。ともに生きてゆこうと決心している、大事に思っている、尊敬している相手のことも、すべてわかるかと問われたら、否、と答えるしかありません。
わかろうとする。
それに尽きると思うのです。
わかろうとして、たとえわからなくても肯定したい、というのがわたしの覚悟でした。
自分の人生についても、なんだかめんどうな宿題がつづいていますが、それを ともかくひとつひとつ肯定して、なんとかおもしろがって生きてゆきたいじゃありませんか。
こっそり泣きながら(失敗して泣きたくなることもありますしね)、ものがたりを生きてゆこうじゃありませんか。
本記事は『あさってより先は、見ない。』(清流出版)からの抜粋です
〈撮影/田邊美樹〉
山本ふみこ(やまもと・ふみこ)
1958年、北海道小樽市生まれ。現在、埼玉県熊谷市在住。随筆家。「ふみ虫舎」エッセイ講座主宰。自由学園最高学部卒業。出版社勤務をへて文筆業へ。日々の暮らしに寄せるあたたかな視点に定評がある。東京都武蔵野市教育委員や東京都市町村教育委員会連合会会長を歴任。著書に『忘れてはいけないことを、書きつけました』(清流出版)、『家のしごと』(ミシマ社)他多数。
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