(別冊天然生活『歳を重ねて楽しむ暮らし』より)
入院中の義母に、毎日はがきを送る
遺品のなかに見つかった、93枚のはがき。「お母ちゃん、」の呼びかけから始まるそれは、随筆家の山本ふみこさんが夫方のお母さま(以下義母)に向けて約3カ月の間、毎日送りつづけた手紙です。
8年前にお母さま(以下母)を、そして4年前の夏に義母を、介護を経て見送ったという山本さん。母と義母、それぞれに立場や状況が違えば、その介護のかたちもまた、違っていたと振り返ります。
「お母ちゃん(義母)が脳梗塞で入院したときに、病室宛てに毎日はがきを送りました。病院にいると、社会と関われなくなるでしょう。それに、入院する当人は意外と強い気持ちをもっているから、のどかなことだけを知りたいわけでもない気がするんです。だから新聞に載っている漫画とか、政治家の発言だとか、治彦さん(夫)がこんなことをいったとか……。ときにはケンカしたことも書いたりして、世の中や家族のありのままを伝えました。文章だけだと味気ないので、必ず絵を添えて。今日も来たよ〜、って看護師さんが届けてくれるのを、母も楽しみにしていてくれたらしいです」
夫と妻、それぞれの場で自分の役割を果たしたい
稲作農家を営む夫の実家は、東京から車で2時間ほど離れた埼玉県熊谷市。元気に畑仕事をこなしていた義母が脳梗塞で倒れたことで、生活は変わり始めました。
義母が長期間入院となり、その間ひとり暮らしの義父にも、認知症がみられるようになったのです。
夫は少しずつ東京と埼玉を行き来する回数を増やし、さらには重なる脳梗塞で義母が入退院を繰り返すなか、本格的に介護をしたいと山本さんに申し出ました。
夫は、埼玉でケアマネジャーやヘルパーの助けを借りながら、食事や入浴などの日常生活を支え、慣れない田畑の世話もスタート。週末だけ東京へ戻る暮らしが始まり、その一方で山本さんは東京に残ることを選びました。
なぜ、一緒に埼玉へ行くことを選ばなかったのでしょうか。
「私には東京での仕事があり、子どもたちもいます。いまの暮らしを守ることも、私の大切な役割だと思いました。もちろん、行って役に立ちたいという気持ちもありましたが、同時に‟やりたくてもできない”という事実を大切にしたかったという思いもあります。世の中には、住んでいる場所や仕事、状況などさまざまな事情で、できないのに無理をして悩んでいる人たちがたくさんいますから、そうじゃなくていいんだよ、と伝えたかったのかもしれません」
では、山本さんははがきを出していただけかというと、もちろんそうではありません。時間が許すときにはともに埼玉へ行き、顔をのぞかせました。義母とはたわいもない話をよくしていたという山本さん。
「熊谷へ帰ったときは、よく一緒に銭湯に行きました。ふだんは愚痴を一切いわないお母ちゃんでしたが、寝転び湯でふたりで並んでつかっているときにだけ、『実はねぇ……』って打ち明けてくれて。お母ちゃんとは、なんでもよく話していましたね」
そんな義母が亡きあと、家の片づけを進めるなかで見つかったのが、冒頭のはがきの束でした。
「きちんと番号順にそろえて、ひもで束ねてありました。夫は、『片づけの苦手だった母ちゃんがこんなふうに置いてあるなんてね』と、びっくりしていました。はがきは、あのおしゃべりの延長のような感じだった気がします」
〈撮影/滝沢育絵 取材・文/藤沢あかり〉
山本ふみこ(やまもと・ふみこ)
1958年、北海道小樽市生まれ。現在、埼玉県熊谷市在住。随筆家。「ふみ虫舎」エッセイ講座主宰。自由学園最高学部卒業。出版社勤務をへて文筆業へ。日々の暮らしに寄せるあたたかな視点に定評がある。東京都武蔵野市教育委員や東京都市町村教育委員会連合会会長を歴任。著書に『あさってより先は、見ない』(清流出版)、『家のしごと』(ミシマ社)など多数。
※ 記事中の情報は取材時のものです
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いつまでもイキイキと暮らすためには、自分の「いま」を楽しむことが大切。日々の暮らしのこと、食事のこと、健康のこと、ファッションのこと……。歳を重ねたからこそ見つけた楽しみや工夫を、こぐれひでこさん、石黒智子さん、引田かおりさん、紫苑さん、セツばあちゃんなど、8人の方に教えていただきました。年齢別、食べ方指導、栄養バランスのよい献立、転ばないためのお手当て、脳のセルフケア、歳を重ねたいまの装い、介護のことなどもご紹介しています。