(『天然生活』2018年9月号掲載/『天然生活web』初出2019年8月19日)
大正15年生まれの料理家、桧山タミさんの考える家庭料理のあり方
大正15年生まれ。92歳になる料理家の桧山タミさんは、毎朝4時ころに目を覚まします。マンションの窓を開け、肌に外の空気を感じながら深呼吸。明け方の空に残った月や空を眺めながら、その日の天気を予想しつつ、朝陽を待つのです。
やがて朝の光が射し、街を美しく照らします。「お日さま、おはようございます」と挨拶し、一日が始まります。「朝の光を浴びると元気が満ちてくる」。そうおっしゃるとおり、エネルギーに満ちあふれた明るい笑顔が印象的です。
九州は博多で料理を教えて60年。多くの生徒さんから慕われ、料理研究家たちからの敬愛を集める存在ですが、ご本人は、自分のことを「台所好きの食いしん坊」と謙遜し、日々の生活こそを大切に、ていねいに暮らしています。
台所をよりどころにして幸せな人生を歩む
生活の中心は、もちろん台所。手入れがゆき届き、使い込んだ美しい銅鍋などが整然と並んだこの場所で、長年にわたり、台所と料理をよりどころにした幸福な人生のあり方を多くの人たちに伝えてきました。
桧山さんは、17歳のときに、日本の料理研究家の草分け・江上トミ先生の門下となり、以降38年間、師事しました。25歳で結婚し、双子の男の子を授かりますが、31歳で夫が死去。実家に身を寄せながら兄の家の一室で料理教室を始めます。その後、何度か引っ越しをしながら教室を続けてきました。
苦労も多かったはずですが、「嫌なことは、いっさい思い出せないの。無我夢中だったから」と話します。
そんなにごちそうばっかりつくらんでよかよ
桧山さんがこの世で一番むだだと思っているのは「クヨクヨする時間」。「クヨクヨするなら寝たほうがまし」というのが口癖です。
38歳のとき、桧山さんは江上先生について、世界各国へ食の視察に出かけます。そしてエジプトのピラミッドのそばで満天の星を見上げたときに、「私たちの人生なんて、この星の瞬きみたいなもの」という考えが、すっと頭に降りてきたそう。そして、「人生にはクヨクヨするひまなんてない。笑って楽しく生きたほうがいい」と強く思ったといいます。
「だから、がんばりすぎないこと」と桧山さん。無理をすると、だんだんと「やってあげている」という気持ちになり、心が料理から離れるといいます。手間をかけることが愛情というけれど、手間をかけない料理に愛がこもっていないわけではありません。
「そんなにごちそうばっかりつくらんでよかよ」と桧山さんはやさしくいいます。蒸しただけの野菜も、シンプルにオーブンで焼いただけのポテトも、食べ手の心身の健康のために思いを込めてつくれば、素晴らしいおかずなのです。
「手間を義務にしてはいけない」。手間が重荷になってしまっては、台所に立つことが楽しくなくなってしまいます。それでは本当の料理をつくることなどできません。
朝に陽が昇るように、蕾がほころんで花が咲くように、自然に、ごはんをつくって食べさせる—それが、桧山さんの考える家庭料理のあり方です。
女性はやさしさを学ぶために
「女性は、もともと強い。だから、やさしさを学ぶために女性に生まれてきたの。料理とは、やさしさ、思いやりそのもの。だから、料理を通して女性はやさしさを学ぶのです」と桧山さんはいいます。
一方の男性は、もともとやさしいから、強さを学ぶために男性に生まれたのです。
「もっとも、強さを学ばず、弱いまま威張り散らす人もいますけどね」
やさしくなるために生まれてきた—これが、桧山さんがなにより女性たちに伝えたいメッセージです。
弱いと威張る。しかし、強ければやさしくなれる。そして、その強さは、女性にはもともと備わっているのです。その心身の強さをよりどころに、女性たちはもっと人にやさしくできる。
身近にいる大切な人たちを応援する気持ちで、真心をこめて包丁を持ち、穏やかな気持ちで台所に立ち、目に見えない思いを料理に込める。このことがなにより大切なのです。
家族のために料理ができるのは、本当に幸せなこと
疲れてイライラしていたら、穏やかな気持ちにはなれません。イライラが、料理を通じて大事な人たちに伝わってしまいます。
「女性は太陽、といわれることがあるけれど、私は、太陽よりお月さまがいい」と桧山さん。月のように柔らかい光で家族をやさしく照らしつつも、「疲れた日は、『今日は闇夜』といって、ささっと寝てしまえばいいのよ」とも。
料理は毎日のことだから、小さな疲れがたまり、心身のバランスを崩すこともあります。そんなときは無理をせず、家族に任せてしまうということも大切です。
「人の思いは、料理を通じて波動のように食べ手に伝わります。だから、ただひたすら心を込めて料理をつくるのです」
そして、ごはんをつくるとき、その手にいつも、こんな願いを込めてきたそうです。
子どものごはんをつくるときは「人の役に立つ子になりますように」、大人のごはんをつくるときは「元気で今日一日を過ごせますように」と。
「料理は上手い下手ではなく、思いやりが一番大事」と考えている桧山さんは、こういいます。
「家族のために料理ができるのは、本当に幸せなこと。だから心を置いてけぼりにしないで」
桧山タミ(ひやま・たみ)
1926年、福岡県生まれ。17歳から料理研究家・江上トミ氏に師事。30代半ばで独立。52歳のとき、現在の地に「桧山タミ料理塾」を移し、40年になる。著書に、愛情と自然の恵みを大切にする家庭料理のありようと、生き方の哲学を余すところなく記した『いのち愛しむ、人生キッチン』、小学校で行った授業をもとに幸せな未来のための話を集めた『みらいおにぎり』(ともに文藝春秋)がある。
<撮影/繁延あづさ 取材・文/土屋 敦>
写真家。兵庫県姫路市生まれ。桑沢デザイン研究所卒。雑誌や広告で活躍する傍ら、ライフワークである出産撮影や狩猟に関わる撮影、原稿執筆などに取り組んでいる。長崎県在住。著書に『うまれるものがたり』『長崎と天草の教会を旅して』(共にマイナビ出版)他。現在『母の友』(福音館書店)、『kodomoe』(白泉社)で連載中。 webマガジン『あき地』(https://www.akishobo.com/akichi/)では、『山と獣と肉と皮』(亜紀書房)を執筆連載中。
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※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです
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