• 生きづらさを抱えながら、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていた咲セリさん。不治の病を抱える1匹の猫と出会い、その人生が少しずつ、変化していきます。生きづらい世界のなかで、猫が教えてくれたこと。猫と人がともに支えあって生きる、ひとつの物語が始まります。家族との関係に悩んでいた時期を、猫を通して振り返ります。

    16歳で家出し、年齢をごまかし夜の世界へ

    「生まれてきたくなんてなかった!」

    思春期の頃、私は母に向けて、こんな言葉をぶつけたことがありました。

    受験の重圧から逃れた高校生活でいじめを受け、そのうえ、家では精神的虐待にさらされ、生きていることが何よりもつらかった時代。「死にたい」という思いが日々頭をしめ、私をこの世に産んだ母を責めたのです。

    16歳で私は家出。年齢をごまかし夜の世界で一人で暮らすようになりました。

    17歳で家に戻り、また母との生活がはじまりましたが、なかなか溝は埋まることがありませんでした。

    ある年の誕生日。母は、私へのプレゼントに手紙を添え、こう書いてくれました。

    「もっと自分を大切にしてください」

    それを読んだ瞬間、はらわたが煮えくり返るくらい憤りました。

    「大切にするなんて分からない」

    「だって、私も親から大切にされたことなんてなかったんだから」

    母娘の確執は、私が今の夫と同棲をし家を出るまで、水面下で続きました。

    母とのほどよい距離感で、気づいた感謝の気持ち

    そんな母が、先日、我が家を訪れました。

    ボージョレヌーボーが解禁になった日。ちょっと凝った手料理を作り、夫と母、三人で楽しもうということになったのです。

    鴨肉を焼いて、野菜のゼリー寄せとホタテのカルパッチョをオードブルに。食べることが好きな母は、ワインに頬を赤らめながら、嬉しそうに舌鼓を打ちました。

    画像1: 母とのほどよい距離感で、気づいた感謝の気持ち

    それを見て、私の心はあたたかくなります。お母さんが喜んでいる。笑っているお母さんを見ることが、私はしあわせだ。

    私は、夫と出会い、まるで子どもをあやすように愛され、大切にされ「自分を大切にする」ということが、ようやく分かってきていました。

    すると、それまで私を締め付けるだけだと思っていた母のことも愛しくなり、本当は私は母に愛されたかっただけだったのだと気づいたのです。

    食事をする母の隣で、母を介して我が家の子になった老猫が寝息をたてていました。飼い主さんがご病気で倒れ、一緒に暮らすことができなくなってしまった子。その子のしあわせそうな姿に母は言います。

    画像2: 母とのほどよい距離感で、気づいた感謝の気持ち

    「猫生は、何度でもやり直すことができるんやね」

    母の横顔をみつめながら、「私たちもそうだ」と噛みしめます。

    私と母は、ボタンの掛け違えで一緒に暮らすことができなくなってしまった。だけど、一歩距離をとって、今ならお互いにお互いのしあわせを願うことができる。

    「長生きしてね」

    老猫を撫でながら、その子に母は言います。私は心の中で、母に向けて、その言葉をそっとささやくのでした。


    画像3: 母とのほどよい距離感で、気づいた感謝の気持ち

    咲セリ(さき・せり)

    1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。

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