• なりゆきで青山学院大学陸上競技部の寮母になった原 美穂さん。陸上競技部の監督、原 晋さんの妻でもあります。子どもたちとパートナーのやる気と能力を最大限に引き出す「支える力」とは?
    (『フツーの主婦が、弱かった青山学院大学陸上競技部の寮母になって箱根駅伝で常連校になるまでを支えた39の言葉』より)

    寮母になりたてのころは、探り探り

    わたしは寮母になりましたが、しかし、寮母とは何をすればいいのか、まだわかっていませんでした。きっと、ほかの寮の寮母さんとは、していることが違うのではないかと思います。

    たとえば、学生のためのご飯はつくりません学生の部屋に入っていって掃除をすることもありません

    では、何をしているのか? わたしも最初は見当もつきませんでした。

    大学から言われたのは「宅配便の受け取りをしてもらえれば」ということくらい。たしかに、20人近くが暮らしている場所なので、毎日、何かしらの荷物が届きます。

    でも、受け取りにかかる時間は、24時間のうち数分です。残りの時間は何をしたらいいのでしょうか。

    学生の食事の支度をしないのは、当時、寮には厨房施設がなく、契約した飲食店さんが毎朝毎夕、食事を届けてくれたからです。それを、ビュッフェ形式で自由に食べてもらうだけ。

    食事の時間だからといって、わたしには特にすることはありません。そもそも最初は、食事の時間も決まっていませんでした。

    ところが、見ていると気になることが出てきます

    まず、毎回、食事がかなりの量、残るのです。

    好きなものしか食べていないのが一目でわかりました

    契約していた飲食店さんは学生の数を把握していますし、 届けられているのはアスリート向けの食事です。

    いくら陸上を知らないわたしとはいえ、体づくりのため、食事はきちんと取ったほうがいいのではと思うようになりました。

    規則正しい生活は健康への第一歩と言いますから、食事の時間も決まっていたほうがいいでしょう。

    そこで、当時の学生責任者(寮長や主務)とも話し合い、ビュッフェ形式は止めて、決まった時間に揃って食事をするようにし、一人ひとりに配膳をするスタイルに変えました

    画像: 寮母になりたてのころは、探り探り

    今では配膳も学生が率先して行っていますが、当時は自炊経験がなく、均等に配膳するのに迷う子もいたので、わたしが配膳を手伝うのが自然でした。

    暮らしているうちに、自分の役目が見えてきた

    画像1: 暮らしているうちに、自分の役目が見えてきた

    また、わたしは陸上に関する知識がまったくなかったので、走りに関することを手伝うつもりはなかったのですが、走っている学生をビデオ撮影する手が足りない、競技場まで車で送るドライバーがいないと聞けば、じっとしてはいられません。

    画像2: 暮らしているうちに、自分の役目が見えてきた

    少しでも学生の、そして監督のサポートができるのであれば、とできることはすべて行うようになりました。

    一事が万事そのような具合で、少しずつ寮母の仕事が増えていきました。

    実は寮に来る前は、学生が授業に出ている昼の間は外で仕事をしようかとも考えていたのですが、それは無理なことに気がつきました。

    もしかすると、寮母は食事の配膳をしてください、運転もしてください、あれもしてください、これもしてください、とあらかじめ大学から言われていたら、「いえ、わたしは日中は外で仕事がしたいです」と衝突していたかもしれません。

    しかし、困っている様子を目の当たりにすると、どうしても手を差し伸べたくなります。

    あなたの仕事はこれですと与えられていなかったからこそ、仕事を見つけ、増やしてくることができたのでしょう。役目が決まっていなかったから、自分で役目を決められたのだと思います。役に立つことは何でもやりたい。そんな気持ちになっていました。

    本記事は『フツーの主婦が、弱かった青山学院大学陸上競技部の寮母になって箱根駅伝で常連校になるまでを支えた39の言葉』(アスコム)からの抜粋です

    〈撮影/塔下智士〉

    原美穂さんには、『天然生活』2024年2月号のP.48~55「自分らしさを生かしながら、支える幸せ、私の場合」でも、お話を伺っています。ぜひご覧ください

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    画像3: 暮らしているうちに、自分の役目が見えてきた

    原 美穂(はら・みほ)

    青山学院大学陸上競技部町田寮寮母。原 晋監督の妻。1967年、広島県広島市生まれ。

    大学卒業後、証券会社入社。その後、中国電力に勤務していた、原 晋氏と出会い、結婚。両親も暮らす広島で穏やかな結婚生活が続くと思われたが、夫が突然、縁もゆかりもない大学の陸上競技部の監督になると言い出し大反対をするも決意は変わらず、夫は中国電力を退社。 2004年、原 晋氏が3年契約で青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督就任と同時に、住みなれた広島をはなれ、陸上競技部町田寮寮母になる。

    初代寮母として、ゼロから寮のルールづくり、選手のサポートを行う。青山学院大学陸上競技部は、09年、33年ぶりに箱根駅伝に出場。15年、青学史上初となる箱根駅伝総合優勝に輝く。16年、箱根駅伝2連覇。17年、箱根駅伝3連覇。大学3大駅伝である出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝の優勝により、大学駅伝3冠を成し遂げる。3連覇3冠の同時達成は史上初。18年、箱根駅伝4連覇。19年の箱根駅伝は、出雲駅伝と全日本大学駅伝で優勝し、箱根駅伝5連覇と史上初の2回目の3冠を目指すが、惜しくも総合2位(復路優勝)。2020年の箱根駅伝では、大会新記録で5度目の総合優勝を果たし、再び頂点に返り咲く。21年の箱根駅伝では、往路12位から巻き返し、復路優勝を果たす(総合4位)。22年の箱根駅伝では、青学大がマークした2年前の大会新記録を更新し、6度目の総合優勝を果たす。

    現在も寮に住み、大学駅伝強豪校となったチームを支え続けている。

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